ここでは、頼風塚 について紹介します。
【ポイント】
①.謡曲『女郎花』のもとになった悲恋物語の小野頼風の塚
②.悲恋相手の女の塚は、松花堂庭園の中に存在。
【関連写真】
路地入口標柱(小野頼風塚)2013_01_20 金只
五輪塔(頼風塚)2012_09_25 金只
案内板(頼風塚)2012_09_25 金只
【補足説明】
①.現地説明板より
頼風塚
平安時代の初期、平城天皇(806~8)の時代に小野頼風という人が男山に住み、京に妻を置いていたが、いつしか二人の間は冷え、彼女は、八幡に尋ねて来たが、頼風には他の女があると聞いて涙川に身を投げて死んだ。
頼風は死んだ女を川辺に葬り死ぬ時に脱いだ衣が朽ちて土に落ち、そこから女郎花が咲いたという。
この花は恨みを含んだ風情があり近よればなびきしりぞき、たちのくともとの様になるので頼風は自責の念に耐えかねてついに同じ涙川に身を投じて死んだ。
時の人はこれをふびんに思い頼風のために塚を築いたのが今の頼風塚であり小さな五輪塔が1基悲恋の伝説を物語っている。
女の塚は、女郎鼻塚といわれ、これより南1.5キロのところにある。
八幡市教育委員会
【参考情報】
インターネット:八幡の昔ばなし「女郎花(おみなえし)」