ここでは、願生坊 について紹介します。
在所:枚方元町6-61
【ポイント】
①.願生坊は、真宗大谷派の寺である。
②.慶長16年(1611)本願寺大谷派は、蓮如上人縁の地「蔵の谷」に本山別院を建立。
「枚方御坊(東別院)」と称した。
③.天和2年(1682)、枚方御坊を「願生坊」に寺号を改めた。
④.本堂の東角にある半鐘は、田中鋳物師家の製品とされるもの。
⑤.枚方小学校の創立地。
【関連写真】
本堂全景2012_11_01 金只
山門2014_12_01 金只
本堂の妻入屋根2013_02_05 金只
田中鋳物師製半鐘2013_02_05 金只
【補足説明】
①.寺内町
枚方の宿場町は、元々は順興寺の寺内町として、中世期末に形成された『連如』ゆかりの地だと云われている。
蓮如上人は、文明7年(1475)に、『光善寺(出口御坊)』を建て、この地での布教活動を始めた。
連如が建てた『光善寺(出口御坊)』と、その子『実従』が建てた順興寺は、摂河泉における浄土真宗の、布教活動の中心となり、当地では浄土真宗への改宗が、非常に多かった。
②.石山合戦で順興寺を始め寺内町の多くは焼失したが、徳川時代に入り、枚方は宿場町として蘇った。
③.踏切前の石碑
「蓮如上人御舊蹟舊名順興寺 谷御坊」
④.谷御坊と言ったのは、蔵の谷にあるからで、浄念寺は表御坊と呼ばれている。
⑤.願生坊は枚方小学校の創立地 。
明治5年(1872)学制が敷かれ、同年6月出口御坊光善寺の厨で蹉跎小学校が発足。
明治6年(1873)2月願生坊寺院を使用して枚方小学校発足。
明治10年(1877)10月三矢村(坂口医院あたり)に新校舎新築移転。
明治25年(1892)9月万年寺跡に新校舎建築移転。
大正15年(1926)9月現在地に新校舎新築移転。
【参考情報】
Wikipedia:実従上人