ここでは、楠葉・平野瓦窯群跡 について紹介します。

在所:八幡市橋本平野山

【ポイント】

時代:飛鳥

種類:生産遺跡

遺構:瓦窯(有階有段地下式登り窯)

遺物:土師器・瓦(軒先瓦、丸瓦、平瓦、鴟尾)

・7世紀前半、四天王寺の瓦を生産した窯跡

【関連写真】

 案内板表示民家2018_03_27 金只   案内板(楠葉平野山窯跡)2018_03_27 金只   

【補足説明】

①.枚方市教育委員会のホームページより

 男山(おとこやま)丘陵の南斜面に築かれた、飛鳥時代(7世紀前半頃)の瓦を焼いていた窯跡群です。

 8基の地下式登り窯で構成され、大阪市・四天王寺が創建された時(7世紀初めごろ)の瓦のほか、奥山廃寺(オクヤマハイジ)式、豊浦寺(トユラデラ)式、山田寺式とよばれる軒丸瓦や重弧文棟平瓦(ジュウコモンノキガワラ)、鴟尾(シビ)が出土しました。また、瓦のほかに、須恵器も発見されており、ある時期は土器も焼かれていました。

②.八幡市橋本平野山の現地案内板より

 男山丘陵南西部斜面に立地する窯跡である。当遺跡は八幡市橋本平野山と枚方市北楠葉町にまたがるため、(財)枚方市文化財研究調査会及び本市教育委員会の三度の発掘調査によって、Ⅲ期にわたり八基の窯で瓦・須恵器を生産したことが判明した。

 最初に聖徳太子が創建したと伝えられる摂津四天王寺の創建瓦である素弁八葉華文軒丸瓦を生産した。次に、奥山久米寺式の素弁丸瓦を生産し、最後に四天王寺伽藍整備時に使用された、山田寺式の単弁八葉華文軒丸瓦・重弧文軒平瓦を生産した。以上のことから当窯は、7世紀前半から中頃にかけて操業した日本最古級で最大規模の瓦を生産した窯であることがわかった。

 この窯は土地所有者の協力により地下保存されている。                          1992年3月 八幡市教育委員会

【参考情報】

インターネット:平野瓦窯群