紀の川

前畑頑張れの川 について知っていることをぜひ教えてください

ベルリンオリンピックで優勝した前畑秀子さんが練習した紀の川。まさにここで前畑さんや古川さんが泳いでいた。

出典:ウィキメディア・コモンズ


前畑さんたちは、子供のころから、橋本橋から上流の数百メートルの辺り、上流の川の流れが速い上級から、下流のすこし流れの治まる辺りを、力にあわせて、川を遡るように泳いでいたという。


WikipediaよりCC-BY-SA

1932年(昭和7年)に開催された第10回大会ロサンゼルスオリンピックの200m平泳ぎに出場し、銀メダルを獲得した(金メダルはオーストラリアクレア・デニスで、前畑とは0.1秒差だった)。大会後は家庭の事情もあり、引退も考えたが、祝賀会に駆けつけた東京市長永田秀次郎が 前畑に「なぜ君は金メダルを取らなかったのか。0.1秒差ではないか。無念でたまらない」と涙を流さんばかりに前畑を説得するなど(当時、永田は東京市長 としてオリンピック誘致に奔走していた)、周囲の大きな期待に押され現役続行を決意する。1日に2万メートル泳ぎきる猛練習を重ね、1933年(昭和8年)9月30日には200m平泳ぎの世界新記録を樹立する。

3年後の1936年(昭和11年)、ナチス体制下のドイツで開かれたベルリンオリンピックの200m平泳ぎに出場し、地元ドイツのマルタ・ゲネンゲルとデッドヒートを繰り広げて、1秒差で見事勝利を収める。日本人女性として五輪史上初めてとなる金メダルを獲得した。この試合をラジオ中継で実況したNHK河西三省アナウンサーは、中継開始予定時刻の午前0時を過ぎたため「スイッチを切らないでください」という言葉から始めた。

河西アナは、興奮のあまり途中から「前畑ガンバレ!前畑ガンバレ!」と20回以上も絶叫し、真夜中にラジオ中継を聴いていた当時の日本人を熱狂させた。