1.峠を越える

橋本に、大阪や奈良から来るには、越えなければならない峠があります。紀見峠と真土峠。特に紀見峠は急峻。宿場街となり谷口集落として発展してきました。江戸時代、真土峠に、紀州藩が大和街道(伊勢街道)の番所を置いたと言われています。

2.道が交わる

橋本は、道が交差(交叉)し、鉄道が交差します。また、大和街道と高野街道が交わるように、山から平野の接合点で街道が交差します。現在の道たちは、土木技術の粋を集められ同一平面の2次元で交じり合う平面交差 (intersection) のみならず立体交差 (Flying junction)が3次元の空間に向けて曲線の線形を駆使しながら、複数の道路だけでなく南海高野線の鉄道路線も交差する複雑な構造を持つ交差地帯が、人の流れや物の流れを街の中心に運ぶ入口となっています。

3.高野参詣道が、京都、奈良、和歌山への高速道路と交わる

高野山への道が、この地帯で京都、奈良、和歌山への道と交わることになります。

 

4.世界遺産への交差点 (This junction to the world heritage.)

この交差点から、高野・熊野の聖地巡礼の旅が始まります。

From this junction, a journey of pilgrimage of the sacred places of Koya / Kumano will begin.

De cette jonction, un voyage de pèlerinage des lieux sacrés de Koya / Kumano commencera.

とっておきの聖地巡礼、世界遺産に行こう。  (わかやま観光情報)

和歌山県世界遺産センター

 

5.畿内の境界とクニの境界

昨年(2017年)、杉山先生が何度も、「真土山、畿内」という言葉をおしゃられてたのか 引っかかっていて、いろいろ調べていると真土山は畿内の南端ではなく、 かつらぎ町の兄山(せのやま)が南端だということが「万葉集」で「妹山・背山」に関して 14首詠まれていることからもよくわかります。

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つまり、かつらぎ町の兄山城跡より東側の紀の川より北側は、畿内ということになります。 まさに畿内の境界が奈良県を向いてこの伊都地方を走っているということになります。

 真土山は大きな谷あいを2つ奈良県側から国道24号線を西進するとあり、今の道では急峻と 誤解しそうなのですが、現在の五條市相谷町の河岸段丘沿い、ちょうどJR和歌山線が通っている吉野川(紀の川)沿いの 道を進めば緩やかな勾配で進むことができ、落合川を少し遡上し落合川を渡れば、大和街道にすぐ 出ます。といいますのも、河岸段丘の縁に犬飼山 轉法輪寺があり、東に行きますと二見城の城下町五條新町に連なる道へに繋がざるを得ないのです。

道の変遷と紀の川(吉野川)の蛇行の推移を含め古の人は、真土山をどのように越えっていったのか 興味のあるところです。

 

 畿内という地理的空間と大和国、紀伊国というクニという地理的空間の認識がそれぞれ為政者によって決定されて いったということがわかります。真土山がクニの境界。 クニが中心となったあと、畿内の空間の上では伊都地方は畿内という意識がどこかにあるのかもしれません。

 

これから、「畿内」という言葉の持つ力をどうやって活用するのかを考える必要があります

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