九里半街道
小浜から琵琶湖北西岸の今津(現・高島市今津町)へ抜け、琵琶湖上の水運を経由して大津まで行き、京都へ至るルート[3]。古代は勝野(現・高島市勝野)や木津(現・高島市新旭町)などが、鎌倉時代以降は今津を主な水陸中継地とした。のち、豊臣秀吉が若狭往還の荷物をすべて今津経由とするなどの庇護を受けたほか、若狭街道が朽木方面へ折れる道をさらに直進し今津へ至る道(九里半街道[注釈 2])が整備され、伏見城築城のための資材輸送にも利用された。なお、湖上から京都への陸揚げは山中越を介して最短となる坂本が利用されたが、のちに秀吉が伏見や大坂への利便性が高い大津を保護し、坂本などから移した船をあわせて大津百艘船[注釈 3]を組織した。
CC BY SA Wikipedia ”鯖街道"より