• Wikipediaの隅田八幡神社
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  • 最古の日本文として国宝に認定されている隅田八幡画像鏡は、現在上野の東京国立博物館に保管され、隅田にあるのはレプリカだ。これこそ日本の古代史の鍵を解く銅鏡なのだ。一番興味を引くのが斯麻が長寿を念じてというくだり。斯麻とはかの有名な百済の武寧王のことで、その百済の王が贈った鏡が何故か隅田にあるのかという消された歴史を解くカギとなる。話が長くなるので簡略に説明すると親戚関係にあった百済王が当時倭の王に贈った鏡ということ。これが日本書記(新羅系天皇=元正天皇の時代)に編集された正史では抹殺すべき事項なのだ。似たような話だとフランスの北西部に進駐したノルマン王国がイギリスに進攻しイングランド王国を建国したのに似ている。これは英国人にとって頭が痛い。つまり百済と新羅の間に挟まれた伽耶の領主だった紀氏(百済と親戚関係)が紀ノ川を北上開拓し、<九度山の真田古墳はその当時の部隊長くらいの墓だろう)隅田は飛鳥へ進攻するためのそのベース基地の港津だったのだ。もちろん紀ノ川進攻の前は北九州の糸島郡あたりに基地を置いたのだろう、同じ音から類推できる。魏志倭人伝の中では王が居たと明記されている倭の国は伊都国と邪馬台国と狗奴国だ。伊都国は一大率という巨大権力をもった王がいたらしい。北九州から移ってきたこの歴史は正史日本書記では抹殺しなければいけないので上野の博物館預かりとなっているのだろう。隅田にあると放射線解析などで本当の事実が明らかになってしまうからだ。現在では伊都という名だけが残った。