柿木門連 について知っていることをぜひ教えてください
- カキノキカドツラ
- 文化14年(1817年)生-明治26年(1893年)没
- 砲術師範,代官
- 松本藩士の垂井弥惣左衛門の三男として生まれた
- 通称は三十郎,竜尾といった
- 天保10年(1839年),高遠藩士の柿木竜卓の養子となった
- お供番となり,高22人扶持を給せられた
- 天保12年(1841年),岡村の門に入り荻野流の砲術の稽古に励んだ
- 嘉永4年(1851年),江戸表在番を仰せ付けられ,御祐筆書役兼帯となり,御子様御殿詰を勤めた
- 安政4年(1857年),藩主の江戸への御発駕の道中で,側用人書役,中間頭,厨世話役を兼帯して随行した.休息所詰と茂吉様の御用弁を言い付けられた
- 安政6年(1859年),代官となり,洗馬郷へ出役した
- 文久2年(1862年)に代官として藤沢郷,元治2年(1865年)に春近郷,慶応元年(1865年)に川下郷,明治2年(1869年)に入野谷郷の支配を歴任した
- 明治2年(1869年)に御祐筆筆生肝煎となり,西京に在番した
- 明治3年(1870年),高遠藩の権少属倉廩方となり,17石を給せられた
- 高遠藩が廃止となり,内藤候から書状と金10円を頂戴した
- 明治15年(1882年),西春近村の小出学校柳澤出張所の設置に際し,教員として在勤した