鉾持桟道 について知っていることをぜひ教えてください

  • 美篶側の芦沢や千年町から高遠側の常盤町や諸町までの三峰川右岸の山腹をめぐる区間を指す。
  • 「ほこじのかけはし」とも読み、バス停ほかでは「鉾持参道」と表記されることもある。
  • 天正13年(1585年)には、この鉾持桟道の区間で、高遠城に拠る保科氏と松本城を本拠とする小笠原氏との戦闘が行われたとされる。
  • 近世には「中の橋」と呼ばれる桟が架けられており、この区間を鉾持除、芦沢除とも呼んだ。
  • 平成5年(1993年)に県道伊那高遠線が国道361号に編入されるにともない、国道の区間となった。
  • のり面のモルタル吹付工などの老朽化により、平成27年(2015年)7月には倒木のため一時通行止、12月には吹付モルタルの剥落により一時通行止、平成29年(2017年)1月には斜面崩落により通行止となっている。
  • この区間では、ニホンザルの群れがよく見かけられる。

 

【伊那案内(1926)】
伊那町よりして二里、將に高遠に入らんとする所、千仞の断崖脚下に崩れて淙然たる三峰川の清流に臨み、仰げば巨巌眉に逼つて老松低く空を蔽ふ、鉾持桟道は實に屈指の奇観である。昔高遠城主保科正直の父正俊、七十歳の老軀を以つて奇計小笠原の大軍を粉砕した古戦場である。

【信濃史蹟上(1910)】
伊那町より東すること二里餘。路將に高遠城下に入らむとする所鉾持山北に峙ち、断崖千仞、南は直ちに三峰川の深谷をなす。而して路は絶壁の中腹に懸り、仰げば巨岩磊*として松翠満らむとし、俯せば、脚下十丈、奔*白沫を散らして、淙々の響き松風に和す。所謂鉾持桟道の勝之なり。高橋白山翁題して曰く、桟底*岩鋭如鉾、閑雲出岫繞前峰、埋蹊堕葉歸途遠、落日秋風古寺鐘と。風景の佳絶伊那名勝の一たるに背かず。
往昔の道路は、現今の通路より少しく上に位し、特に險阻の所二十間許を選むで、巾九尺餘の桟道を架す。即ち鉾持桟道の名ある所以なり實に、高遠城の咽喉を扼すべき唯一の要害にして、幕府時代、飯田藩主の参勤に當りて此處を過ぐるや、必ず使を遣はして、安否を國家老に報ずるを常となせり。以て其の峻嶮の状を想見するに足る。

【新撰高遠誌(1904)】
千仞万丈断崕絶壁の中腹にあるもの、仰ぎ見れば、壘々たる巨巌怪石、天を*して峙ち、今にも崩れ落ちんばかり、俯して脚下を覗けば千仞の底を三峰川流れて奔流激湛水泡飛ぶ處、快言う可らずてある、又、此突兀たる巌石の間には老松が亭々として聳えたち、宛然畫圖の如く、松吹く風は、颯々として、古を語るが如く、水の音に和し、其閑雅幽邃なる、何に譬えんよーもない、緑滴る夏の日や、紅葉色増す秋の夕、或は雪に埋もれし冬の朝など杖を曳かんには、如何にも詩趣ある所である。昔は今の路の少し上に路ありて、路作り得ぬ貳拾間許の間に、幅九尺餘の橋を架け、鉾持桟道と云うた、此所は別して峻嶮なるに其名を知られ、彼の飯田侯の如き、此所を過ぐれば、郷里に使者を送り、其無事通過を知らせたと云う位であつた。
  みすゞのや
 一しきり駒か根颪吹きやみて天をゝりたつ巌の上の松。
  同
 白浪の巌かむ昔も凄ましく千尋の底を三峰川流る
  同
 かけはしや君いでましの往さ來さ早籠たゝしけん古おもほゆ
花崗質・片麻岩
鉾持山及鉾持除の全體は此岩石より成立つて居る、此岩石は地球構成上最も初期中第一に屬する水成岩であつて、其成分は長石・石英・雲母の三より成つて居る、一見駒ヶ岳の六合目以上を組織し居る花崗石と其區別が分らぬ様であるが、此所のは水成岩で、彼處のは火成岩である、故に其石理が全く異なつて居る、此石は其質が堅いから石碑・敷石・玉垣等に用いて其需要が最も多い。
蛭石
岩石は風・火・雨・水等の爲には化して砂となり、又土となるものであるが、片麻岩も亦此規則に洩れない、次第に崩れて砂となつて居ることは鉾持除でよく分る、鉾持除の砂の中に蛭石が澤山に存在して居るが、蛭石は其色濃い茶褐色で火中に投ずると其氣孔に入つて居る空氣が膨張して非常に長まる、此石は壁土に混じ又襖の箔等に用いる事が出来る。

【木の下蔭】
一城西片羽町の除を鉾持除といふ又芦澤除といふ實は中の橋まで鉾持橋より先芦澤此場両村の境なり仍て両様に稱へて通用すこの除上は嶮阻の山高く岩壁巍々として所々に諸木屈曲に生ひ下もおなじく諸木或は小笹の類磐岩の間に生ひ茂り数十丈の谷深ふして三峯川の流れ藍の如くに湛へて除の中程に桟あつて中の橋といふ掛橋あり命もからむ蔦かつらと翁のいひけんも岨路のことも是にはしかじとおもわれぬ
  經蘆澤棧道 岡忠鼎
 一徑幽峡千章雲樹新**山勢折衝激水流頻棧道 懸岩岫絶崕隔要津即知設險意建領北三秦
  此地は當城の西に當り第一要*の地にして上は青山巌々として
  雲一反のかけはし中天に聳へたるは蜀七十里の棧もかくやと
 棧や雲路にかゝる八重かすみ 里水
 棧道や結引はへる雪の朝 魯闇
 いつの世にたくみをしてや巌よりいはおに渡す岨のかけはし 忠昭
 あおぎ見る岨路に幾世よの人のあやうきをたすく雲の棧 女紀水

一中の橋の少し先山の七八分目に小袋石とて袋の形に見ゆる大岩いまや落べきように前にのぞきて有之は権現の石にて他國より敵よせぬる時は落ちて防くと民家の童蒙いひ習はす
一此橋より先一町たらずの處明和ニ乙酉年大雨打續き降りて山崩れ巌おちて新に谷出來往來を停む仍て又棧をかけて往還をたすくこれより橋二ケ所になりたり
一此除道下に生ふる竹は箆竹にて年々秋に至つて矢竹を切らしむ