黒河内に8人の首を持ち帰り、黒河内隼人政信の居城であった艮(うしとら)城の東の丘に丁重に葬りました。
これを古来「八人塚」と言ったそうです。
武田氏から上伊那を守ろうとした8人の武将の碑があります。
黒河内隼人政信 (伊那市長谷黒河内)
溝口民部少輔正慶 (伊那市長谷溝口)
松島豊前守信久 (箕輪町松島城)
伊那部左衛門尉重親 (伊那市西町)
殿島大和守重国 (伊那市東春近)
宮田左近正親房 (宮田村北割城山)
小田切大和守入道正則 (宮田村南割)
上穂伊豆守重清 (駒ヶ根市赤穂)
碑石の高さ1.4メートル、幅1メートル、厚さ31センチの磨き上げた墓石。
今までは松の木一本だけで、野石の墓石でさえない墓地であったが、昭和50年の11月28日に八人塚の碑を建立した。