塩ノ山 について知っていることをぜひ教えてください

  • 日影より北村へ越えるところにある小丘で、花の丘ループ橋工事により地形が大きく変り、現在はかつての面影ほとんどない。
  • 「木の下蔭」には、ミヨノヤマ(ミヨはしんにょうに䒾(蓑の異体字))といって、古く花ミヨあったとされる。また、塩山と書いてしょの山と誤って呼ぶようになったともされている。
  • 荘ノ山、庄野山、園山、塩根山の表記も見られる。シオノヤマ、ショノヤマ、ションノヤマ、ショーノヤマ、ショーネヤマなどの読みが確認されている。別荘ノ山が略されたという説もあり、岩崎左門の別荘があったとも伝えられている。

 

ループ橋に囲まれたショノ山

 

【新撰高遠誌】
東高遠板町の東字大屋敷邊から鹽の山邊の間一圓、天正の中頃より慶長の初め迄當城の城代であった岩崎左門の屋敷跡だから、之に大屋敷の名があるのである、此西北の隅に左門林と云う木立は近年迄少しく残つて居た。
【木の下蔭】
日影林より北村へ越ゆる所をミヨノといひて古しへ花ミヨありたるとぞ今は其面影もなくしよの山と唱へあやまりぬ又塩山と書てしよの山と唱ふるよし俗に云傳ふ此所に三角林といふ所ありて櫻樹あまたありけるとぞ近頃まで一本の古木殘れりとぞきかなる謂やありけんしらず