大屋敷町 について知っていることをぜひ教えてください

  • 搦手から東へのびる荒町通りの北に位置する。天正年間1573-1592)の中頃城代岩崎左門の大きな屋敷があったとされる御家中十六町のひとつであった。

  • 鳥居氏が藩主の頃、筆頭家老であった高須源兵衛の屋敷であったと伝えられる。廃藩後、会所として使用され、東高遠町西高遠町の合併問題や小学校問題の調停会議がここで行われた。その後、練兵場に転用され、2016年現在は天理教大屋敷分教会が設置されている。

  • 大屋敷の屋敷地には色が勝れた緋桜があったとされ、付近には花王(サクラ)の井と呼ばれる名水もあった。

 

大屋敷の現在

 

【新撰高遠誌】
東高遠板町の東字大屋敷邊から鹽の山邊の間一圓、天正の中頃より慶長の初め迄當城の城代であった岩崎左門の屋敷跡だから、之に大屋敷の名があるのである、此西北の隅に左門林と云う木立は近年迄少しく残つて居た。
【木の下蔭】
荒町北側家老屋敷今會所大屋敷といふ古しへ鳥居の頃は高須源兵衛と云ふ職分の人住居す西の方へより裏門あり此の屋敷の庭にも花王の大樹あり三の丸屋敷はじめに記せるほどの木ぶりにはあらざれども緋櫻とやらにて色猶まされり
おなじ並ひの屋敷今竹田氏の門内にある井を花王の井といひならはして名水なり櫻について謂あることにやしらず