柿木嘉藤治 について知っていることをぜひ教えてください
- カキノキカトウジ
- 明治19年(1886年)生-昭和48年(1973年)没
- 画商,著述業
- 藤沢村荒町に柿木藤太郎ととめの次男として生まれた
- 号は寸鉄と称した
- 景仰子という号もあった
- 飯島町の山田織太郎や池上秀畝と親交があった
- 独身時代には孔子の研究のため中国大陸に渡った
- 大正13年(1924年),「孔子聖教之研究」や「琵琶に関する研究」を出版した
- 信濃尊孔会の主管であった
- 飯島町追引の聖徳寺に孔子聖堂を建て,秀畝の写した孔子像を原型として,昭和10年(1935年)に大型の聖像を建立した
- 孔子聖堂(孔子廟)は信濃至聖廟地という大公園として計画されていた
- 伊東深水に依頼し、井上井月の挿画を書かせたとされる
- 柿木昌平は、嘉藤治の次男で、早稲田大学で国語学の研究をしていた