浅間矢場 について知っていることをぜひ教えてください

  • 高遠藩の弓矢砲術の訓練場であり、浅間神社がまつられていることに由来する

  • 中世の平家の時代に、地頭石田刑部の屋敷があったとされる。

  • 享保年間1716-1736)から安政年間1855-1860)にかけて8万枚余の中国朝鮮の古銭が発掘された。この北にある尾先田でも古銭が多数出たとされる。

  • 砲術の訓練があったことから、鉄砲矢場とも呼ばれている。

 

【新撰高遠誌】
東高遠の東北月藏山の麓に舊藩士の砲技を練習した所がある、其側に淺間の小祠が安置してあるから、之れを淺間矢塲と云う、此塲所より享保年間百姓與市と云う者、土地を堀り古錢若干を得たと云う事がある、又安政六年己未、大北の平民大川次郎の長男新次、又此所の南隅を掘り、古錢五十八種、八萬六千五百六十八枚を得たが、其錢の名に依り考ふるに、大抵支那・朝鮮の錢で日本の錢は僅に一種なるのみを見れば、我國鑄錢の少なき時代に於て、富貴なる人の住居せし處と思われる、殊に地名に御所原など云うを見れば益、志か思わるゝが、記録なき故不明なれども、一説には地頭石田刑部の宅跡だと傳えてある。漸く記して考証をまつ。今左に堀り出したる錢種を列舉すれば、
東國通寶 政和 開元 元祐 元豊 皇宗 ?寧 大觀 祥符 紹聖 天禧 嘉祐 太平 治平 元符 至和 唐國 宋元 宜和 嘉泰 紹定 嘉定 嘉? 開禧 廣元 建炎 至大 天漢 皇宋元寶 天聖 祥符 紹聖 威? 咸平 嘉祐 聖宗 至路 景徳 景祐 治平 至和 正隆 淳? 明道 景定 淳化 咸淳 紹? 淳祐 大宋 周道 紹興 乾徳 端平 光平 乾元 重寶 五*錢 半両錢 富壽 神寶(之は和錢)等であった。