鉾持町 について知っていることをぜひ教えてください

  • 遠照寺の文亀2年(1502)の多宝塔に「鉾持住人」の銘がある.
  • 天正6年(1578)の上諏訪大宮の記録には「鉾路之郷」とあり,大宮の造営役が課せられていた記録がある.
  • 天正6年(1578)の建福寺文書(武田勝頼朱印状)には「鋒持古町居住之人足等」とする記録がある.
  • 天正9年(1581)の建福寺文書(武田勝頼朱印状)には「御門前鉾地古町在家」とする記録がある.
  • 中世には伊那方面と諏訪方面を結ぶ街道沿いに門前町や宿場町が鉾持古町として形成されたと考えられており,寛永年間(1624-1645)に高遠城に隣接して東高遠側にあった城下町が,鉾持古町を中心に移転されたとされる.その際,現在の本町から仲町(西高遠)を経て霜町に伸びる東西方向の大きな道が整備され,西端の霜町(当時の下モ町)から鉾持神社にかけての南北方向を軸に枡形が設けられた.この枡形は門前町を兼ねており,この門前町が鉾持町となったとされる.
  • 鉾持町成立時には無高で,長さ51間,横町20間2尺,1,188坪であったとする記録がある.当時は間口5間ほどの商家17軒が並んでいたとされる.
  • 元禄10年(1697)には本人足役15軒,半人足役2軒,文化5年(1808)には本人足役8軒,半人足役23軒,慶応元年(1865)には本人足役5軒,半人足役25軒と格下げになっていたと記録されている.
  • 天保年間(1831-1845),文久年間(1861-1864)には火災や飢饉に見舞われた.
  • 町方十町の付近は鉾持村とされ,近世を通じて300-350石の村高があった.享保年間(1716-1736)には59戸あった.工業や商業も営まれ,大工,鍛冶,振売商い,山稼ぎ,中馬稼ぎ,窯業などがみられた.嘉永3年(1850)に105戸,明治3年(1870)に147戸となり,人口増加が顕著であった.
  • 鉾持村は,猪鹿沢沿いや藤沢川三峰川の合流地に耕地をもち,「高遠しらは」などの稲を生産した.
  • 旧正月14日(現在は2月11日)には鉾持神社の祈念祭として,「だるま市」がたつ.
  • 鉾持神社に因んで名付けられたとされる.ホコジの音は福地(フクチ)と関係するとも考えられる.  

 

鉾持町 元禄10年(1697)>文化6年(1809)>>天保10年(1839)>>>弘化2年(1845)     

屋号

表口*裏行

 

さどや

>里屋
>>

伝蔵

>甚右衛門
>>伝蔵

7間*8間

西側南隅

平野屋

>藤屋
>>
>>>

>-

九太夫

>藤左衛門
>>藤右衛門
>>>藤右衛門後家

>加藤専吉

6*15間

 

 

>>>2人

藤右衛門(別家,瀬戸物,小間物,宝暦)

ますや

>藤屋
>>
>>>

平右衛門

>平右衛門
>>平右衛門

>>>喜代

5間1尺*13間

 

 

>>>1人

 

中や(中屋)
>
>>

>>>

彦作

>幾蔵
>>長太郎
>>>長太郎

5間3尺*20間

 

 

>>>2人

 

ゑびす屋(えびや)

>藤屋

>金屋

>>

久右衛門

>平右衛門
>>
>>>

>吉兵衛
>>

51*19間 いたや伊藤燃料店

かじや

>金屋
>>
>>>

金左衛門

>吉兵衛

>>本右衛門
>>>本右衛門

4間3*21間


>>>5人

【町代】金左衛門

池上吉兵衛(春近村)
本右衛門(番匠池上清左衛門より別家,瀬戸物,小間物,文禄)

かなや(金屋)
>

>>

>>>

伊左衛門

>甚左衛門
>>甚左衛門
>>>甚左衛門

5*26間

 

 

>>>3人

【町代】伊左衛門

【町代】新七

【町代】本右衛門

【町代】伴助

【町代】甚左衛門

【町代】吉兵衛

池上吉平(酢元)

丸丁金屋本店

池上家民俗資料館

大黒屋

>上田屋
>>
>>>

>久住屋
>>

五郎兵衛

>太兵衛
>>治兵衛
>>>常右衛門

>民右衛門
>>

51*22間

 

 

>>>5人

治兵衛(豆腐)

上田屋,田中亀太郎(菓子屋)

松ざ和(呉服)

ひろや(広屋)

>富屋
>>

>>>

与右衛門

>武兵衛
>>源吉
>>>源七

41*22間

 

 

>>>3人

西側北隅
源吉(別家,享保)

-

>飯田屋

-

>甚蔵

-
>4間*5間5尺
西側路地?

-

>久住屋
>>

-

>民右衛門
>>忠兵衛

-

>4間*10間1尺

西側路地?

-

>富屋

>>>

-

>新右衛門
>>>友三郎

-

>3間*6間5尺

>>>2人

西側路地?

すみや

>藤屋

長左衛門

>勝七

5間3*10間3尺

東側南隅

藤屋,伊藤久蔵(油元絞)
藤屋,伊藤与三郎(質株)

しほや

>藤屋

>>

>>>

吉重郎

>藤左衛門
>>

>>>

5間3尺*18間  

屋まや(山屋)

>藤屋
>>
>>>

源右衛門

>八百右衛門
>>八百右衛門
>>>源蔵

5間4尺*13間

 

 

>>>3人

八百右衛門(別家,小間物,元文)

さいとや

>藤屋
>>

>小松屋
>>

>>>

>池野屋

三五兵衛

>八百右衛門
>>

>米蔵
>>源次郎

>>>源次郎

>藤七

6間3尺*15間

 

 

 

 

>>>3人

小松屋,斎藤源兵(振売)

斎藤源兵(鬢附油,売薬)

いつミや(和泉屋)

>銀杏屋
>>
>>>

>十一屋

>>

>>>

仁左衛門

>十三郎
>>宗八
>>>十三郎

>利右衛門
>>源兵衛
>>>
源兵衛

5間4尺*21間

 

 

>>>6人

 

 

>>>4人

【町代】仁左衛門

【町代】三之丞
宗八(鍛冶)

かしわや

>柏屋

>>>

>柏屋

祖兵衛

>伝右衛門

>>>重兵衛

>藤八

5間*10間

>>>3人
 

いとや(糸屋)

>塩屋

>>

>>>

か左衛門

>武右衛門
>>武右衛門

>>>武右衛門

4間3尺*21間

 

 

>>>2人

武右衛門(小間物)

斎藤五郎(菓子屋)

かみ屋

>麻屋

>河内屋

清右衛門

>勘右衛門

>与八

4間5尺*16間

東側北隅

紙屋,小松房蔵

中島屋饅頭店

17軒

>29軒

     

>>藤沢屋,長兵衛(四日市場,宝永)
>>>藤沢屋,長兵衛(5人)

藤沢屋,伊藤栄蔵(質株,薬種)
>>斎藤一亭(医師)
>>高松屋,武八
>>>高松屋,武八(2人)
>>三好屋,半七(別家,天保)
>>>三好屋,半七(7人)
>>>伊藤作左衛門(6人)
>>>星屋,伝蔵(1人)
>>>又四郎(4人)
>>>五兵衛(3人)
>>>玉屋,直七(5人)
栗田安人(菓子屋)
北屋,北原米太郎(豆腐)
飯田屋,池上甚蔵(桶師)
越蔵,北村平衛(左官)
池上金弥(大工)
矢島行蔵(大工)