高遠ダム について知っていることをぜひ教えてください
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高遠にあることから名付けられた。三峰川を堰き止め、総貯水量は231万立米で、昭和33年(1958)に竣工した。的場ダムから取水した藤沢川取水路の放水口が右岸の東高遠側にある。
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川原という小字も残っており、ダムに湛水される以前、三峰川の河原は、子どもたちの夏の遊び場であった。ダムの湛水の直後で、藤沢川取水路からの放水が始まる以前の冬は水面が結氷し、スケートで遊ぶことができた。
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川原の表記は小原の誤記とも見られる。付近には、勝間川原や蔭ノ川原という記載も見られるが、現在は湖底に沈んでいる。
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渇水時には堰堤よりやや上流の右岸寄りに烏帽子岩の先端が見えることがある。
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溝上定男の日記には、高遠湖のスケートについて次のように記されている。
昭和33年
1月19日 高遠湖のスケート開き。
三峰川総合開発による高遠ダム湖湛水開始。
一二月二三日以来続けて来たわけであるが、現在の堰堤の高さは完成時の高さまで達していないので、従って水面の広さも計画水面より狭いため、氷が張ったものと思はれるが、夢にも思はなかった。
全面結氷してスケートが可能という事で伊那スケート連盟が役員等の現地を訪れ、これなら大丈夫と言はれたが、町としては不安であり、県総合開発事務所、高遠警察署とも協議した結果、スケート滑走可能という結論に達したので、それではリンク開きをする事に相談がきまり、有名選手を招いてやろうという事で、諏訪のオリンピック選手の高林さんに来てもらう事にして本日のリンク開きになったものである。この事は新聞等にもすでに報知されていたので、本日の観衆は郡内外より集まり、約五〇〇〇人もの人に想像外の人出で驚くばかり。氷上に入る人は極力制限していたが、それでも氷上に乗った約二五〇〇人、万一事故でもあったらとそれのみが心配で身をけずる思いの一日であったが、連日多くの者が集まりこの監視に心をいためる連日であった。
ダムが完成し堰堤の予定通りの所まで満水になり、発電所に導水するようになれば、ダムの水面が上下してその段差は二mにもなり、水は張ってもスケートは出来ないと云って居り、このスケート大会は本年限りのものではないだろうか。何れにしても連日警察官も来て共々心配しながらの監視であった。
開発で思いもよらぬスケートが
出来るはよいが身はちぢむなり
1月26日 今日は日曜であり、スケート客が多数来場。伊那バスも臨時を運転するという盛況であり、これの監視に警察でも万一を考へ閉鎖するかとも言れたが、全く連日の人出で閉口をした。本日の人出約三五〇〇人であった。(中略)
12月5日 高遠湖の湛水開始をして毎日水位があがり、氷の張状態は日を追ってスケート滑走可能のように見られ、これについて進入道路の関係又実際にスケート可能となった時の安全問題等幾多の困難が考えられ、むしろ氷の張るのを止めてもらいたい思いで一ぱいである。
(中略)
12月20日 高遠湖が完全結氷し、スケート可能となり、学校の生徒や一般人が伊那市方面からも来て滑走する者多く、このまま町として見すごすわけにも行かず、万一の事を考へるといっ時も見逃すことの出来ない状態となり、総合開発事務所、高遠警察署、勝間の代表又花畑の代表の方々に来てもらい、諸般についての協議打合せをした。結果、発電所の関係者からは、「発電の関係から水面が上下するために岸からはなれる現象が起きるから非常に危険である、岸から氷上に出るまでの間に長さ四メートル位の長さの橋を渡す設備をする必要がある」と言う事で、協議の結果、四m位の長さの材木を三本渡し、これに板を打ち浮橋のようなものを二、三ヶ所造ることにした。この危険を防止出来ると思う氷の厚さは大丈夫であるから、これは毎日その状況を見て、万一氷が薄くなって危険と思えば禁止をすると言う事で意見が一致し、これを早々設備して行く事にして、毎日現場に見張りをつけて危険防止に万全を期する事にした。
尚、この現場は高遠ダムが完成して計画通りの水位になれば湖面も広くなり、又発電も本格的になれば水面の上下も三mから四mにも段差がつくから、このような状況も本年位のものと思はれるとの事であった。
この場所にスケート場が出来るとは
思いもよらず心はちゞに
【高遠案内(1976)】
長野県総合開発計画の最初の事業として昭和三十三年に建設された県営多目的ダムで、太古より自然の恩恵と共に大洪水によって流域住民を苦しめていた三峰川も、上流の美和ダムとこの高遠ダムによって治水、灌漑、発電に利用されこの地方の生活文化の向上に大きな貢けんをしている。高遠公園から高遠ダム、戸台にかけて流域一帯五二六ヘクタールは自然の変化に富んだ三峰川水系県立公園に指定されている。