杉山神社       平尾の社寺仏閣へ戻る

東京都稲城市平尾1189 +81 42-331-1047

関東地方に72社ある杉山神社のうちの一社である。御神体は江戸時代までは延徳4年(1492)の懸仏[かけぼとけ]であったが、現在は日本武尊と弟橘姫の木像が安置されている。本殿の建築は棟札の記述により延宝4年(1676)造営と考えられ、江戸時代前期の貴重な建築物である。神社の東側には別当として真言宗の宝泉寺(高勝寺の末寺)があったが明治6年に廃寺となった。

 

境内、東側には(宝泉寺跡地)石仏、石塔や宝泉寺の寺名が刻まれた地蔵菩薩塔も残っている。

地蔵菩薩、三基 庚申塔が二基 右から、

 

●文字庚申塔 笠付角柱型(笠欠損) 中央「武州都筑郡平尾村講中」 右「奉造立庚申尊像」 「蓮華」 左「元禄拾六癸未天拾月吉日」(1703)「蓮華」 の刻 (市・庚申塔第10号)

 

●地蔵菩薩塔 立像+台石 首・両手首欠損 銘文 年号 無し (市・地蔵菩薩塔第36号)

 

●青面金剛庚申塔 板状駒型(上部欠損) 三猿 二鶏 造立年不明 「平尾村」 「霜月廿日 講中」 の刻 (市・庚申塔40号)

 

●地蔵菩薩塔 右嘉永四年(1851) 左「武州多摩郡府中領平尾村 陽谷山大日院宝泉寺 宝山代」 の刻 (市・地蔵菩薩塔第26号)

 

●地蔵菩薩塔 船形立像 表「享保十七年」(1732) の刻 (市・地蔵菩薩塔第12号)

 

●堅牢地神[けんろうじしん] 天保十年(1839) H80 W25 D20  (市・その他の石造物第3号)

元々、杉山神社の鳥居の手前に建つ石塔。表面には「竪牢地神」と刻まれており、天保10年(1839)に建てられたも。堅牢地神とは大地の恩恵を思い、永久安泰を願って信仰されたもので、大地をよく堅固にする神である。市内では唯一の資料であり、多摩丘陵周辺でも数は多くないようである。 (石川博司 氏「東京多摩の庚申塔」での杉山神社との明記は隣接する、戦没者慰霊墓地公園の石碑前にあります。)

秋の例大祭が結構、盛大に行われます。元来この地は神奈川側に属していました。ここは鶴見川水系の神社で最上流部に位置しています。

現在、上平尾区画整理事業で神社裏ギリギリまで山が切り崩されて鎮守の杜としての機能を果たさない状態となっていてとても残念です。

2016.12現在神社側からは裏山は健在に見えますが稜線から奥は崖となり山は消失しています。

鈴木誠さんの『いなぎ歴史探検MAP』 より  鎮座は長祿年間(1457~59年)とも延徳四年(1492年)とも伝わる、新編武蔵国風土記稿によると稲城市内では坂浜・高勝寺、矢野口・国安社に続く3番目に古い寺社。

御神体は 風土記によると延徳二年と刻まれた銅製銭丸鏡であるが、江戸時代の天保年間に盗賊により持ち去られたため、現在は日本武尊、弟橘姫の木像となってしまった。

現在の本殿拝殿は大正十四年に神饌幣帛料共進神社に指定され遷宮式を伴い造営されたもの。

杉山神社は関東に72社あり、そのほとんどが現在の横浜市を中心とした鶴見川流域に分布している。明治大学非常勤講師・渡辺賢二先生のお話によると、杉山信仰とは農業の源である「水」を育む森としての森林信仰らしい。また鶴見川最上流部にあたるので信仰上ある種の聖地であった可能性も高いとのこと。

府中にある武蔵国総社大國魂神社の六所神社の六之宮と云われているが、証拠となる資料は見つかっていない。http://inagi.info/tankenmap.html