開拓者慰霊碑「石狩―無辜の民」は、1981年6月30日札幌彫刻美術館が開館した翌日、本郷新がこよなく愛した石狩浜に設置、除幕した作品である。

 「無辜の民」とは、1970年アラブ、中東、インドシナの人々が戦争や紛争の中、悲惨な状態におかれた状況に触発されて15点連作し た作品である。これらの作品は、単なる風俗の描写ではなく、抑圧された人間の典型を彫刻にすることで、世界平和を希求した作品であり、戦没学生記念碑「わ だつみのこえ」に通じる本郷の社会性を感じる作品でもある。

 「無辜の民」シリーズ15点は小品であったが、その中で「虜われた人 I 」を高さ2メートルに拡大して、「石狩」と題して石狩浜に設置することを希望し、石狩町(当時)に北海道を通じて寄贈を申し入れた。一時、設置が頓挫したが、地元住民の募金活動によって設置が実現した。

 設置場所を石狩浜にしたのは、本郷の思い入れが強かったからである。1965年小樽市春香山にアトリエを構えたのも、石狩浜を一望で きるからである。それほどこだわった石狩浜は、本郷にとってどんな意味があったのだろうか。人の手の入らない荒涼感と、果てしなくひろがる空間を兼ね備え た石狩浜は、いかにも北海道らしい。本郷にとって石狩浜は、少年時代を過ごした明治時代の風景が残り、孤独を満喫しながら思索に耽るためには絶好の空間で あったのだろう。時間があれば石狩浜を訪れていた。出会う人がほとんどいない、海と砂浜が続く厳しい自然の中に身を置くことで、自然と対話しながら創造力 を培っていたのだろうか。

 石狩浜は、開拓のために本州から船で入植した、北海道の明治期の歴史がここから始まったゆかりの地でもある。船で渡ってきた開拓民の過酷な歴史を作品に託すため、「石狩」像の台座は船の形をしている。

 前年に亡くなった本郷は除幕式には出席できなかったが、本郷の遺志により台座の中に分骨が納められた。

(2004年7月30日 札幌彫刻美術館 学芸員 井上みどり)