霊人塚 について知っていることをぜひ教えてください

霊人塚無縁供養塔

小名浜港にある日本化成小名浜工場など建設の際、臨海地域にあった無縁様を改装した場所。現在、小名浜鹿島神社の所有地。

 


倒れている石碑を覗きこむと、海嘯とか、四倉とか、合葬とかが読めるよって、小名浜の臨海開発のため、何か所かの無縁様を合葬した場所と思われる。
当時の小名浜町、内務省等が後援している。

 


以下は、「磐城市郷土誌資料集」磐城市小・中学校長会(昭和34年)掲載の「霊人塚碑誌」全文である。石碑原文は旧字体であり句読点等はないが、このテキストでは新字体に改め、句読点および中黒が補ってある。前掲書に解説等は一切ない。尚、文中の「高山」と「隼人」は現在も残る字(地名)である。

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霊人塚碑誌

今ヲ去ル二百五十九年前、時方ニ、延宝五年十月九日ノ夜、海嘯大イニ起リ、下川境ヨリ三崎・長崎ノ辺ニ於テ、男女八拾余人漂死セリ、後元禄九年六月二十七日ノ朝、降雨トナリシニ俄然暴風雨ト化シ、四倉マデノ間ニ弐千四百五十余ノ舟人、鋭意漁撈ニ従事セシ人々、再ビ漂歿ノ厄ニ遭ヒヌ。此ハ此、今ヲ去ル二百四十年ノ昔ナリシナリ。

当時有志ノ士相謀リ、天職ニ殉ジタル多数ノ英霊ヲ高山ニ合葬シ之ヲ名ツケテ霊人塚ト言ヒヌ。次イデ元文四年七月ニ至リ、信仏ノ念深キ人アリ、供養ノ為メ、斯地ニ地蔵菩薩ヲ安置シテ其冥福ヲ祈ルニ及ビ、善男善女ノ杖ヲ曳ク所トナリ、今ニ至ルマデ百九十七年ノ久シキニ弥リタリ。時移リ、星変リ、文化大イニ進ミ産業漸ク興リ、今ヤ新ニ都市計画サヘ行ハルルニ至リシカバ、此地域ヲモ用イザル可カラザルニ至ル、因リテ諸霊仏ヲ隼人ノ高丘ナル霊地ニ合祀シ、建碑シテ以テ永ヘニ雄魂ヲ弔フ。

是吾等ノ誠ヲ諭シ、崇仏信仰ノ実ヲ標スル所以ナリ。

昭和十年四月 元公立中学校教諭従六位石川虎之助撰文

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http://mapillary.com/map/im/Hk-ELOdz-4mLQonS3WQrsg