国道から車で30分の上富田町岩田の田熊(たくま)という所に、当山脈といわれる真言宗系のの三宝院に帰属する山状で、慈道院という人が住んでいました。彼は三宝院門跡が、吉野大峰山から熊野三山へ「逆の峰入」をされる度ごとに、「奥駈七十五靡」の先達をつとめたその道の達で田熊の女郎渕という渕で(祈ること)して、雨を自由自在に降らせたり止めたりしたといわれ、また大きな下駄を履いて、20メートルもある川幅を飛び越える奇跡を行い、里人から畏敬(崇高なものや偉大な人を、おそれうやまうこと)されたと伝えられています。
ある年、日照り続きで村中の稲が枯れかかり、里人たちは慈道院に雨乞いを願い出ました。彼は直ちに女郎渕に参籠して祈禱を捧げ、里人たちに
「急いで家に帰られよ。今すぐ大雨となり申す。」
といって、持って来た弓を射ると、みるみるうちに四辺が暗くなり、大雨が降り出しました。具合よく水が行き渡った頃を見計らい、下流に下って再び弓をとり矢を放つと、ぴたりと雨が止んだので、人々はその霊験のあらたかさに驚き入り、歓喜したといわれています。
また慈道院が吹いていたほら貝は、三斗三弁(60メートル)入り、大きなものであったといいます。
女郎渕から、富田川の栗山渕へ通ずる抜け穴があったとみえて、女郎渕へ神酒を捧げ、膳を渕に投げ込むと、翌朝少しも損傷しないで、数百メートルをてて、途中に大きな山で区切られた栗山渕の祠の前に出てきたと伝えられています。

<熊野文庫より引用>