京都の蓮華(れんげ)王院といえば知る人も少ないが、三十三間堂棟といえば、すぐに分かるというほどよく知られた有名な寺です。この寺と熊野との間には、こんな昔話が語りつがれています。後白河法皇は三四回も熊野詣(まい)りをされたという史上有名なお方であるが、この法皇にも、人知れぬ悩みがあったといいます。俗にいう頭痛病みで、折りにふれ難い痛さに悩まされていました。ある日あまりの痛さに失神し、夢うつつの間に、 「法皇の御生前は、熊野に住む蓮華坊という僧侶でした。仏道修行の功によって、今みかどの位につかれるくらい高貴の方に生まれ変わっていますが、その前生のどくろの中が岩田川の水底に沈んでいます。そのどくろの中を柳の木が貫いて生え、風が吹くと柳の木が動き、そのたびに転生した今の御身に伝わって頭が痛むのです。」 と、神様のお告げがあり、ハッと我に返られました。そこで早速使いを使わして、岩田川を調べさせたところ、夢のお告げどおり、柳の根に貫かれた一個のどくろが見つかったといいます。使者はこのどくろを恭(うやうや)しく京へ持参し、そのころ制作されていた三十三間堂の、千手観音の一体の銅像の中へ塗り込み、さらに柳の木を伐って京へ持ち運び、建築工事中の三十三間堂の梁に使ったところ、たちまち法皇の御病気は平癒したといいます。 このことは京都平等寺縁起に出ているが、また一説には後白河法皇でなく、花山院(かざんいん)(花山天皇とも呼ばれる)が那智で修行中に頭痛の病あり、雨期には特にひどいといいます。そこで占ってみると、花山院前生のどくろが岩に挟まっているのです。それが雨期になると岩が太るためにお悩みなさるのである、という答がでたので、早速どくろを取り除くと、花山院のお悩みも平癒されたといいます。