上富田町岩田に昔、九平さんという大金持がいて、牛や馬をたくさん飼っていた。 ある年の夏、深い片井の渕のそばに馬をつなぎ、草を食わせていた。 この渕に長年すんでいるゴウライボーシ(河童)は、この馬を渕に引き込もうとして、馬をつないだ綱をはずして水際まで引き寄せた。 ところが馬は急に躍り上がって一目散に家にかけて帰ったので、綱の先のゴウライボーシは綱をはなす暇もなく、綱を握ったまま連れてこられたのであった。 家人はただならぬ馬の騒ぎに出てよくみると、綱の先に一厘銭が食いついている。 家人は、渕にすむゴウライボーシにちがいないと、青松の葉をもやしてすべた。 さすがのゴウライボーシもたまりかね「どうか命だけは助けてくれ」と正体を現わした。 そこで岩田と生馬の村境まで大勢で送り出し「この松の木がはえている間は、再び岩田の地を踏んではならぬ」と約束さして、富田川に放してやった。 この松は当時村境の一本松と呼ばれて大松であったが、数十年の後には枯死してしまった。 それで老人たちは「一本松が枯れたから、うかうか水を浴びるな」といって、河童がまたのぼってくることを案じていた。 片井渕の上には今もほこらが祀られている。 この岡川の上手の蔭ノ間には、ゴウライボーシが衣をつけた坊さんに化けて立っていたというし、その上手の小坊付近の川では、魚に化けて水中をうようよ泳いだり、かんざしに化けて女の人が水の中へ拾いにくるのを待っていたりしたという。 そこから更に上手には田中神社があり、例祭には人身御供のかわりとしてヨリメシと称する握り飯が供えるので、ここから上流にはゴウライボーシはのぼって来ないと土地の人には信じられている。