戸籍の管理をしていた教部省の通達が神社合祀の始まり
神社合祀の始まりは1876年(明治9年)教部省達である。教部省は後に内務省に吸収され、内務省は現在の総務省の前身の一つ。教部省は宗教行政を担当すると同時に、氏子を把握している神社の神職を活用しながら戸籍を固め、戸籍区ごとの神社の管理を目指していた。この省達が出た頃、熊楠は9歳。速成中学科の錘秀学校に入学している。
上富田町史「通史編」第2章 明治後期の上富田p592より
41910年上富田町で撮影された43歳の南方熊楠;南方熊楠顕彰館所蔵南方熊楠が『日本及日本人』に掲載した田中神社・八上神社・岡川八幡神社は、平田東助内閣が賞賛し保留を望むという言質を得て、社地と神社森は保存され社殿も廃毀されずに祀られていた。そして田中神社の「オカフジ」は戦前から特異なフジとして保存され、岡川八幡神社も本邦稀有の天然林として保存されていた。戦後、両社は旧社地へ復祀された(樫山茂樹「谷本藤一のこと」「南方熊楠と上富田」)
43歳の熊楠が著した「熊楠二書」が神社合祀、森の破壊を食い止めた
「上富田町史(通史編)」は1910年(明治43年)43歳の熊楠が著した資料、原稿をもとに県選出の国会議員が演説し追求したこと記している。また、熊楠の原稿を柳田国男が「熊楠二書」を出版し、関係者に配布することで、政府が神社合祀の強行を止めているとしている。
熊楠の行動と明治政府の動き
上富田町文化財教室シリーズ
熊楠が神社合祀を差し止めるためにした一連の行動を町史を抜粋して紹介している
南方熊楠顕彰会
田中神社、八上神社、岡川八幡神社と熊楠の関わりが、資料に基づいてわかりやすくまとめてある
南方熊楠顕彰館・南方熊楠邸(MINAKATA KUMAGUSU ARCHIVES)
蔵書、資料がたくさんあり、調べたいことを質問すると、丁寧ご対応いただけます。このページも職員の皆さんのご協力のおかげで短時間に調べることができました。
み熊野ねっと
熊楠のエコロジーの考え方が、丁寧に、わかりやるまとめてある
和歌山神社庁
現在もこのサイト上では田中神社と岡川八幡神社は合祀されたままとなっている