和歌川下流一帯は、古代から製塩が行なわれていたと伝わっています。ここで生産された塩は、和田川、和歌川を通って、和歌山城下を始め、紀州藩の外へも運ばれたようです。

和田川の支流、中津川のほとり、ご神木らしい大きな木のそばにある金毘羅宮の常夜灯、塩を積み出していた「川船仲間」がかつて近くの高皇神社に寄進した手水鉢とともに、「三葛塩舟船出の地」の碑があります。

碑の背面、側面には、

 三葛を中心とした和歌川の下流は、古くから製塩が盛んで、明治の末頃まで、このあたり一帯は見渡す限りの塩浜であった。生産された塩は「三葛塩」と呼ばれ、川舟によってここから各地に積み出された。

平成十二年十二月 和歌山市教育委員会

とあります。(20160208:山本智子)