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名草の地名について。
司馬遼太郎氏は次のように書いています。
『中世、紀の川下流のいまの和歌山市域が雑賀さいかとよばれたということは、すでにのべた。それ以前は、「名草」とよばれた。名草は渚だろうという人が多い。私も、そのように思っている。』-P253,街道をゆく32・阿波紀行・紀の川流域.司馬慮太郎.1993.朝日文芸文庫
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「名草」地名は実にふるい~「日本書紀」にでてくるナグサトベ~。
日本の国をおこしたとされる神武天皇は遠征の際、難波から大和に入ろうとして失敗し、紀伊半島南端から北上する遠征路を変更します。途中、紀の川流域の野に入り、名草国の女首長であった名草戸畔(ナグサトベ)を殺し、紀の川流域を平定したとされるされるほど古い。
神武天皇の即位は紀元前660年とされている。
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古代の名草国であり名草地方といえるリージョンの範囲
名草は紀の川下流域である現在の和歌山市とそこから南に下る海南市の範囲である。