和歌浦天満宮は、大宰府天満宮、北野天満宮と共に日本三官廟。
和歌浦天神山の中腹に位置する。
Main shrine of Tenman Shrine, the cultural assets designated by the Ministry of Education.
Tenman Shrine was originally founded in 10th century. It's god of worship is Michizane Sugawara who was a politician and poet in 9th century. This main shrine was built in 1605 by the order of Yoshinaga Asano who dominated Wakayama in those days.
Irimoya-zukuri, which is a style of shrine building, could be noticed by seeing the eaves of the roof jut out into front aristocrats' house.
whole building was painted red and gorgeous pattems were drawn onthem, Paying attention to the outlook of the shrine, there are minute wood carvings of cranes, and turtles ― symbols of long life, Hoo(Chinese phoenix) and Kirin (Chinese pegasus which head is dragon ― imaginary animal of good luck and power).
This graceful shrine with fine carvings is the superior historical building which represents the characteristic way of building in Momoyama period (late 16th century).
天満神社は和歌浦を望む丘陵の中腹にあり、和歌浦一帯の氏神となっている。社伝によれば平安時代中期(10世紀後半)に創建されたといわれ、菅原道真公すがわらみちざねこうを祀りしている。
現在の社殿は、天正てんしょう13(1585)年豊臣秀吉による紀州攻めの際に焼失したものを、慶長けいちょう11(1606)年に浅野幸長あさのよしながが再建させたものである。本殿は桁行けたゆき【1】五間、梁行はりゆき【2】二間、入母屋造りいりもやづくりで、正面に三間の向拝こうはいがつく桧皮葺ひわだぶきの建物であるが、正面に千鳥破風ちどりはふ【6】をつけている。
このように本殿には雄麗ゆうれいであるとともに雅趣がしゅある装飾が多く施され、桃山時代建築の特徴をよく示している優れた歴史的建造物である。
末社の両社殿は本殿東側後方にある。多賀神社本殿は一間社春日造りかすがづくり、桧皮葺である。天照皇太神宮・豊受大神宮本殿は二間社流造ながれづくり、桧皮葺で、一間の向拝こうはいがつけられている。両本殿は、形式は異なるが細部はよく似ており、建築様式からみて慶長年間の再建時に建立されたものと考えられる。本殿・楼門ろうもんとともに社殿の一環として重要な建造物である。
和歌山市教育委員会(平成25年3月)
【1】桁行:房屋纵向,开间。与房屋脊檀平行的方向,亦指其房屋横梁方向的长度 【2】梁行:进深方向,房屋横向,与建筑物的梁平行的方向 【3】间:明治24年被定为尺贯制的长度单位,一间等于六尺,约为1.818米 【4】入母屋:中国古代汉族建筑的一种屋顶样式,日本称为入母屋造。屋顶有一条正脊,四条垂脊,四条斜脊,故称九脊殿,类似于中国建筑的歇山屋顶 【5】桧皮葺:扁柏树皮葺顶 【6】破風:封檐板,博风板。位于双坡屋顶端部的人字形装饰板 【7】春日造:神社建筑形式的一种。在山墙的开门处正面加上房檐,屋顶上有交叉的两根长木和装饰用圆木。 【8】流造:是日本神社建筑中本殿最普遍的形式,其特色是正面屋顶向前方延伸,形成优美的弧线。