名馬橋 について知っていることをぜひ教えてください

名馬「太夫黒」の伝承のこる小さな橋

小田原での石橋山の戦いに敗れた源頼朝が逃れて上陸し、鎌倉幕府を興す前に再起をはかったという南房総。

南房総では、鴨川以外でも頼朝にまつわる伝承を耳にすることが多い。

鴨川市江見の吉浦地区(大字・太夫崎)の旧道に架かる「名馬橋(めいばはし)」。この橋の名も源頼朝の伝承に因んでいるらしい。

この橋が架かっているのは「名馬川(めいばがわ)」という小川。

地元の人からこんな話がのこっていると聞いたことがある。

頼朝が太夫崎(たゆうざき)まで来た時に、洞穴で黒い毛並みの立派な馬を見つけた。地名をとって「太夫黒(たゆうぐろ)」と名を付け、自身の乗る馬とした。この橋から少し上流に、波切不動があり、伝承の馬がいたのはそこにある洞穴だという。

昭和5年施工・近代的な意匠に中世の伝承を纏っている

名馬橋の改修前の記事はこちら

※太夫黒の生誕地は岩手県平泉で史跡になっている。こちら