(出典:あうらのかたりべ)

星宮地区(池上・下川上)の地名

井上 善治郎 著

はじめに

 現在の熊谷市星宮地区はかっては北埼玉郡星宮村であった。「星の宮」という大変、ロマンチックな村の名前であった。その前の江戸時代は池上村

下川上村と、これ又地域の歴史を物語る由緒ある村の名前をもっていた。

 さらに村内の各地の地名にも地域の歴史をさぐる糸口をもった地名がいくつもある。

 私達は「地名も文化財」という立場に立って、あらためて地域内の地名について見直しをしてゆきたい。そこで、すでに公刊されている次の文献を転載して参考に供したい。

 熊谷地名稿 Ⅰ 大字編 熊谷市立図書館 昭和五十二年

 熊谷地名稿 Ⅱ 小字編 熊谷市立図書館 昭和五十三年

 

大字の地名

池上(いけがみ)

由来・名義

 中世、埼玉郡内にあった池上郷の遺名を村名としたもの。なお、池上郷の由来については、現在不明である。

下川上(しもがわかみ)

由来・名義

はっきりしたところはわからないが、昔あった上川上ノ里が三つの村(上川上村、下川上村、大塚村)にわかれたさい、上川上村に対応する呼称として、“下川上村”と称したものと思われる。〔成田村誌〕

 

大字池上の小字名

池上(いけがみ)

尼酒田 あまさけだ 高根の普門院(尼寺)の前の田で、尼寺前田、尼前田などと呼ばれていたらしいが、いつのまにか酒に変ってしまいこう呼ばれるようになったという。

稲荷前 いなりまえ イナリ(稲荷)神社があったことによると思われる。なお、このイナリ神社は古宮神社に合祀された。

古宮 こみや 古宮神社とその社領があったのでこう呼ばれるようになったと思われる。なお古宮とは文字通り古い宮、古くからある宮、歴史の長い由緒ある宮という意味

 であろう。

関下 せきした 石の関があり、その下に位置するため、このように呼ばれるようになった。

高根 たかね 高い丘の上に位置するため、この名が生じたらしい。

高橋 たかはし  

鶴巻 つるまき 鶴巻は“弦巻”で弓の弦を巻きつけておくものである。昔、この地に古墳があり、その古墳(円墳)の形が弦巻に似ているところから起こったものと思われる。なお弦巻としたのは良い字を当てたものとされる。〔熊谷市史・前〕鷹の狩の牧場だったという。つまり鳥(鷹)を養成したところ。

向釜 むこうがま 由来は不明。種井が六ヶ所あったという。(穴田・中釜・渇田など)

屋敷前 やしきまえ (やしきめえ)とも呼んでいる。名主屋敷の前であるのでこのように呼ばれたのであろう。

 

大字下川上の小字名

下川上(しもがわかみ)

市海道 いちけいど 本屋敷より寺に至る街道が通っていたので或はそれに関係した地名かと思われる。

入宇 いりう 大塚に入りこんでいる字なので入字と呼ばれていたが、いつの間にか入宇に変ってしまったらしい。

榎戸 えのきど 徳川家康が鷹狩りに来たという。その当時雑木林が多くあり、主に榎の木がおい茂っていたのでこの名が生まれたのであろう。

大釜 おおがま 由来については、不明、大塚の古名に同じ名前が見えるがそれと関係あるのだろうか?種井がたくさんあったという。

上河原 かみがわら 蛇行した川の関係からこのような地名がついたと思われる。なおこの上河原に対応する下河原は大字上之である。

上八木原 かみやぎはら 原野であったのでこのような地名がつけられたと思われる。なお徳川家康もここを訪れたという。

川上稲荷 かわかみいなり 稲荷木稲荷(とうかいなり)があったのでこのような名で呼ばれるようになったものと思われる。

川上田 かわかみだ 川上で一番いい一等地の田ということでこのような名で呼ばれるようになったと思われる。

蔵浦 くらうら 蔵があり、そこに米が集められ、そこにあった船着場から忍藩に積み出した。船着場がそのまま地名になったのだろうか?

小橋高田道下 こばしたかだみちした 高田から続いている道に小橋がかかっており、その下から広がっている土地なのでこう呼ばれたらしい。ずいぶんと長い地名である。

下無 したたれ 下川上の一番はずれで、これより下は無いという意味でこのような名で呼ばれたものと思われる。

下八木原 しもやぎはら →上八木原を見よ

宗旨道上 しゅうじみちかみ 宝乗院の荘園であったことからこのような地名が起ったと思われる。

宗旨道下 しゅうじみちしも

十二所 じゅうにそ はっきりしないが、この地をめぐり宮下の権現様と十二所(この十二所は大字上川上)の権現様が争い十二所の権現様が勝ったのでそのままこうよばれるようになったという。

絶角寺 ぜっかくじ 絶角寺という寺の跡で、寺名がそのまま地名に変ったものらしい。なお『新記』には絶覚寺と記してある。

高田 たかだ 剣神社があることからこう呼ばれるようになったと思われる。なお、『新記』によると小名(小字)に鶴木宮というのがあり鶴木が剣になったと考えられる。

縄子田 なこだ 縄をなって“まぶし”を作ったという。そこからこの名が生れたものと思われる。

南北伊勢子 なんぼくいせこ ①伊勢講に言った人、つまりお伊勢まいりに行った人が多かったのでこう呼ばれるようになった。②この地の新田開発のさい、桑名方面の人が多くたずさわっていたので、地元伊勢の名をとり、こう呼ぶようになったという。

蓮沼 はすぬま その名のとおり蓮のおいしげる池(沼)があったのでこの名が生じたと思われる。

畑無 はたなし その名のとおり畑がなかったのでこう呼ばれるようになったと思われる。

掘向 ほりむこう 堀があったという。それにより生じた地名らしい。

本屋敷 ほんやしき 地頭屋敷があったところから、このような地名が生まれたものと考えられる。

神子田 みこだ はっきりしないが、三池弁天様があったので、この名が生じたと思われる。

御嶽 みたけ 御嶽神社があることからこう呼ばれるようになったらしい。

美濃谷戸 みのげいど 美濃谷寺の跡にあるためこの名がつけられたと思われる。

宮下 みやしも 熊野権現の下に位置するため、このような名で呼ばれたのであろう。

薬師 やくし