(出典:あうらのかたりべ)
梅岩院由来記
当寺は池上小字古宮七一三番地に所在し、山号は碧雲山と号します。成田竜淵寺の末寺で開基は慶長時代で今から三百六十七年前です。竜淵寺第十二世孤峯呑雪大和尚であります。宗派も曹洞宗であり下川上の浄泉寺と同じで、本山は越前永平寺及び鶴見総持治であります。開祖呑雪大和尚は尾張三河の生れで、徳川家康とは幼な友達との事にて家康が鷹狩に来て竜淵寺に立ち寄り旧交を温めて竜淵寺に百国の御朱印を下賜したほどで、非常なる高僧との事です。本尊は釈迦牟尼仏です。また歴代住職は左記の通りで現住職は二十世です。
一世孤峯呑雪大和尚、二世香嶽薫和尚、三世雷沢春和尚、四世密嶽旨和尚、五世絶道学和尚、六世最岳乗和尚、七世祥岳石瑞和尚、八世霊岳瑞苗和尚、九世牧仙活童和尚、十世智道大恵和尚、十一世祖山見道和尚、十二世源明関霊和尚、十三世超見活宗和尚、十四世祖伝和尚、十五世大広慧田和尚、十六世周道和尚、十七世霊覚領鷲和尚、十八世月光梅心和尚、十九世大成亮一和尚、二十世得全正二和尚
境内敷地 約三〇〇坪、寺宝として熊谷市指定文化財(十三仏石仏群)があります。江戸中期のもので高さ約九十センチの舟型光背に各仏を独立させて建立した十三仏は、まことに見事で他に類を見ない。建立年代は池上地区の名主新井吉兵衛が親族の年忌を修し供養のために逐次建立したもので十三体の内十体が夫婦の為に、一体は子供の為に、残りの二体は逆修の為とあります。代々世襲名の新井吉兵衛が造立したものと思われる。石仏の順序は左から次の通り並んでいますが、仏法の経典に説く順列では下側の( )内に示す数字の通りとされています。不動明王(1)、阿弥陀如来(10)、文殊菩薩(3)、観音菩薩(8)、地蔵菩薩(5)、阿閦如来(11)、大日如来(12)、普賢菩薩(4)、弥勒菩薩(6)、薬師如来(7)、勢至菩薩(9)、虚空菩薩(13)、釈迦如来(2)
十三仏信仰は古代中国の道教の十三信仰により発したもので、仏教の日本渡来後中世に至りて神の本地に仏をあてはめたものと言われる。昔の人びとは現世より未来の幸せを求め、死後の世界の浄土を願って信仰したものと思われる。
十三仏縁起
本地仏 忌日
不動明王 初七日
釈迦如来 二七日
文殊菩薩 三七日
普賢菩薩 四七日
地蔵菩薩 五七日
弥勒菩薩 六七日
薬師如来 七七日
観音菩薩 百ヶ日
勢至菩薩 一周忌
阿弥陀如来 三年忌
阿閦如来 七年忌
大日如来 十三年忌
虚空蔵菩薩 三十三年忌
人間は死後三十三年忌までの十三回の供養によって西方浄土にある極楽に行けると信じていたので、生前は一月と七月の十六日に十王参り、あるいは閻魔詣をして死後の罪の軽からんことを祈ったという。閻魔大王の本地仏は地蔵様である。
朝日の石仏
当地の墓地に文字の変った石仏があります。数年前、野の石仏と題して、若杉慧氏が毎日新聞全国版に写真入りで紹介されました石仏が無縁墓地に建立されています。地区の人に是非見て頂きたくここに紹介します。