『小山威雄追悼遺稿集』 について知っていることをぜひ教えてください

鬼灯書籍 1982年刊

 1972年から1期小諸市長を務めた小山威雄氏の追悼遺稿集。下記に転載したのはその中の市長随想の一つ。

 政治家に対する評価はそれぞれにいろいろあると思うが、下記の文が1972年という半世紀前に書かれていることは注目に値する。

 特に「自治体は地方政府である」という認識は、地方分権一括法が施行されてから20年以上経った今日でも全く古さを感じさせない。

 

 

 

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132p

市役所は市民のとりで

 

 

市役所には400人以上の人が勤めているが、この人たちの給料は市民が支払っている。市役所で働く者の主人公は市民以外の何者でもない。したがって私たちは、市民の権利、自由、暮らしを守り、高めるための専門家集団として、責任と確信をもって行動しようと努めている。

 

 

私は、「市民の意見を親切に聞くこと」「解決できるものはすぐに処理すること」「要求に応えられない場合は、納得できるように説明すること」の三点を実行している。職員にもそのように指示するとともに、責任ある仕事をしてもらいたいので、「それぞれの職場においては、君たちが市長だ」とハツパをかけるのである。

 

 

さいきん、市役所が国·県の下請機関としてでなく地方政府としての機能回復を待ち望む声が多い。地方自治の本来の主旨が、地域社会の政治と公共事務をその地方住民自らの手で行うという、いわゆる「住民自治」にあることを思えば不思議なことではない。

 

 

私は、市役所を市民的リーダーシツプのとりでにすることが自分に課せられた使命だと考えている。税金を支払っている市民が、自治への関心を深め、自治に参加することが自分たちの利益につながるーという意識をもち、その意識が、草の根からもえ上がるようなエネルギーとなり、堅固で豊かな地盤となって市役所をを占拠することが望ましい。

 

 

地方自治確立ヘの道は遠くけわしいが、「これだけはぜひ」と日ごろ考えている三本柱がある。

まず、政策を科学性と合理性で裏うちすることである。ビジョンのない現実追従行政は歓迎できない。

次に、市政ヘの住民参加のチヤンネルを数多くもち創意と工夫をこらし、市民と市役所とのコミュニケーションが相互の信頼関係を増進させるようにしたい。

また私を支える職員態勢を強化するために、「自治体は地方政府である」という認識ヘ発想の転換をはからせたい。もとより、職場のなかでの非能率、形式主義、責任回避、セクショナリズムなどの存在は断固排除し同時に、全職員に私を補佐する政策スタッフになってもらいたいのである。(49·11·15)

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