布引電気鉄道 について知っていることをぜひ教えてください

小諸駅から布引観音の下を通って島川原まで7.42Kmの地方鉄道。
小諸商人が商圏拡大や観光開発、更に新たに川西地区(望月・立科)の発展等を目的で建設されたが、不況の影響もあり9年足らずで姿を消した。

建設当初(大正9年)世界的不景気で資金困難の中、敷設工事は中断を繰り返し、余りに長引くので「長引電鉄」の悪口も聞かれた。

動力源もガスを燃料にしたエンジンから蒸気に、更に電気へと変わり、社名も当初布引自動鉄道だったが、布引電気鉄道に変転する。

昭和3年から5年にかけて、島川原で発電所建設があり、資材輸送で活況を呈す時期もあったが、朝夕の通勤通学時を除けば乗客が少なく、42人乗りの電車で運転手と二人きりの事もあり、四十二人乗り(しじゅうふたりのり)とか、シジュウカラの小鳥電車とか言われた事もあった。

千曲川鉄橋跡に橋脚が1本現存し、布引駅のホームの跡も現存している。

年表
大正15年(1926)12月1日 開業。
昭和9年(1934)7月10日 営業休止。
昭和11年(1936)10月28日 免許取り消され廃止。

 

          布引駅

千曲川鉄橋橋脚(昭和3年撮影)

橋脚(2010年4月撮影)

 

 

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