世界連邦平和都市宣言 について知っていることをぜひ教えてください
世界連邦運動とは
第2次世界大戦末期に“将来の世代を戦争の惨害から救う”ために国際連合が創設されました。しかし、数週間後、広島、長崎に投下された原子爆弾は、この平和維持機構を時代遅れのものにしてしまいました。
核兵器による破壊から人類を救うためには、主権国家の連合体である国際連合では不十分であり、国家を超えた権威と権限を有する世界連邦機構をつくるべきだという世論が世界各地で期せずして起こりました。
アインシュタイン博士やラッセル卿、湯川秀樹博士、シュバイツアー博士、チャーチル氏などの著名人たちも熱心にその必要性を強調しました。
各国の世界連邦運動者たちは、1946年、ルクセンブルクに集まって「世界連邦政府のための世界運動」(現在の世界連邦運動=WFM)を組織しました。
日本の世界連邦運動
日本の世界連邦運動は、1948年8月6日、広島被爆3周年を期して「世界連邦建設同盟」(現在の「世界連邦運動協会」)が結成され、
初代会長には尾崎行雄氏、副会長には賀川豊彦氏が選ばれました。
小諸市では、1968(昭和43)年9月27日に小諸市最初の都市宣言として、世界連邦平和都市宣言が議決され、1974(昭和47)年世界連邦宣言自治体全国大会を小諸市で開催しました。(1)
小諸市の世界連邦平和都市宣言
昭和43年9月27日
世界の恒久平和は、全人類の切実に念願するところである。小諸市は戦争を防止し、原水爆の脅威から人類を護ろうとする世界連邦建設の趣旨に賛同し、全世界の人々と手を携えて、人類永遠の平和確立のため努力する平和都市であることを宣言する。
右決議する。
市庁舎1階エレベーター横に掲示されている小諸市の都市宣言 2019年12月27日撮影
(1)『小山威雄追悼遺稿集』1982年小山雪発行 72p 小諸図書館蔵書書誌
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