小林貞吾 について知っていることをぜひ教えてください

小諸市諸出身の彫刻家(1913~1944)

日本美術院院友、昭和19年戦病死

小諸市諸に小林貞吾記念館が建てられている。

小林貞吾記念館の顕彰碑碑文

 彫刻家 小林貞吾略伝 
貞吾は大正二年(1913)小諸市諸 小林重蔵・志げの五男として生る。年少より手工に親しみ小学校卒業後彫刻を志し上京、日本美術院の巨匠吉田白嶺に師事 その傍ら素描を太平洋美術学校に学び努力研鑽 昭和六年(1931)十八歳にして日本美術院試作展に「木兎」を出品入選 引続き本展覧会にも入選す その後「ペンキ屋」「農夫」「耕す人」「老人」「若者」と発表入選す 昭和十四年(1939)二十六歳日本美術院同人会の決議に因り院友に推挙される 同年「老樵」を 以後「壮者」「首」「親子」「八幡船の男」「監視兵」等を創作入選 特に「監視兵」は兄弟子中村道人と協同創作に成る「九年神像」と共に海軍省に献納 軍の戦意鼓舞に貢献したものである 然るに大東亜戦争は熾烈を極め昭和十八年(1943)陸軍に召集され山砲兵として中華民國と転戦 昭和19年(1944)衝陽野戦病院にて戦病死す 享年三十歳 遺骨竟に還らず
 貞五歿後生家に遺せる作品遺品の処置に就き同胞等相謀り之を公開して江湖の観賞に供し技芸振興の一助たらしめ短かりし生涯の業蹟を永く後世に伝えて鎮魂の場と成さんと決し此処揺籃の地に一宇を設け之等を保管碑を建て之を顕彰するものとする
   昭和五十九年(1984)建立 小林徳衛・重雄(撰)・太喜男 杉村勝男書

 

 

 

Front Pageへ戻る