畑山博の小諸疎開 について知っていることをぜひ教えてください
芥川賞作家畑山博が戦時中小諸に母と妹二人と疎開したことが『ドキュメント・わが母 ひらけごま』に記されている。
畑山の母が島崎藤村の千曲川旅情の詩が大好きで、縁故のない小諸を疎開先に決めたという。
始めは町外れの水車小屋、その後袋町の純水館第一工場の寮の2階。そして、大里村飼場に。
妹たちが、飼場へ行く途中で後平集落の子どもたちのいじめを避けて、菱野をまわり、迷子になり凍死寸前のところ助けられたというエピソードも載っている。
坂の上小学校で同級だった掛川邦男氏の『島崎藤村の余韻』の「二、五十二年ぶりの同級会」にも疎開当時のことが触れられている。