2021年01月11日 室町時代の地蔵尊 小諸市柏木あたり について知っていることをぜひ教えてください

「オコジョの散歩道」のブログが2021/03/31で閉鎖されてしまうとのことで、その中からオコジョさんのご了解をいただき、転載させていただきます。


この日の浅間山・・・

浅間山麓の東部地区に出かけました。

柏木地区の古屋敷地籍の墓地の奥の林の中にたたずむものがあります。

これかなと・・・
もう15年くらい前から存在は知っていました。そして、何度か探したのですが、見つけられなかったものです。もっとも、それほど真剣に探していませんが・・・
でも気になっていたので、スーパーの買い物ついでに脚を伸ばして、古屋敷地籍を端から端までと・・・

石祠の横に2体並んだ地蔵菩薩の坐像・・・

入ってすぐの脇道で狭いですが、車の通れる道脇の墓地の奥でした。見つかる時はこんなものです。写真では知っていましたのですぐわかりました。

明治13年(1880)の当時の柏木村史にこの地蔵菩薩について「本村人家の裏井戸傍に古碑並びてあり。地蔵の形を彫りて背面に銘有り。この宅地たる高平にして四面低く彫りのごとし。けだし往古某氏宅の跡ならん。百年前土中より古銭多く出たることあり」 「一古碑は村の亥方峯塚の畑畔にあり。地蔵の形を彫りて背面に銘有り。文字摩耗して読みがたし・・・」という記載があります。

室町時代の応仁と文明の時代のこの辺りでは古い地蔵尊です。

見た感じは違いますが、2つとも坐像で左手に宝珠を置き、左手は膝の上で穴が開いています。錫杖を握る形で、当初は錫杖があったのか、必要に応じて錫杖を取り付けたのかもも知れません。

柏木村史に書いてあるように背面に銘が刻まれています。
写真では、というより苔では判読は無理といっていいレベルです。

地蔵さんと親しまれる地蔵菩薩の石像は日本で一番多いと思います。なかには違う像でも、石仏を見るとみんな地蔵さんという方もいます。それも大らかでいいかもしれません。

文明の地蔵尊・・・

「奉彫刻 石地蔵一躰 為佳嶽宗林禅門文明五年(1473)十月廿五日  酉剋逝去」と銘があります。

禅門とありますが、俗人のままで剃髪して仏門に入った男子です。禅定門や入道とも言います。女性の場合は禅尼と言います。隣りの地蔵尊には禅尼と刻まれています。

地蔵菩薩は平安時代に輪廻転生により、死後人は極楽浄土か地獄へ堕ちるという思想が広がり、地獄の責め苦から地蔵菩薩が救済してくれるという信仰が広まります。

古い石造の地蔵菩薩では、奈良の十輪院の本尊がありますが平安時代〜鎌倉時代初期と言われます。屋外のものでは鎌倉時代からのようです。

こちらは「為妙信禅尼 応仁三年(1469) 四月廿一日」と刻まれています。

禅尼で隣りの地蔵尊とは4年の差であるところから、夫婦の供養塔の可能性があるようです。

応仁は戦国時代の発端となった応仁の乱が始まった頃、上の文明とともに室町幕府将軍は足利義政で、有名な銀閣寺として知られる東山慈照寺は義政の山荘、東山殿として着工しています。

近くにある柏木集落の入口にある阿弥陀堂に寄ります。

ここは大規模な墓地となっていて、素敵な石仏がたくさんあり、歴史を感じます。室町の地蔵尊はここではないかと、何度も探し回った場所です。

柏木の方によると、小諸城内にあった小諸藩主の牧野家の菩提寺泰安寺の阿弥陀如来像が、明治維新後に泰安寺が廃寺となり、新たに牧野家の光岳寺に移されたものを、信仰の篤かったここ柏木の地に阿弥陀堂を創建して、阿弥陀如来像を祀ったと伝わっているそうです。

ただ、泰安寺の本尊の阿弥陀如来座像は泰安寺の廃寺により、東御市の大日向地区の観音寺の本尊となり県宝となっています。ただ、阿弥陀如来像は何体かあったのかもしれません。

阿弥陀堂の紅葉(もみじ)の巨木・・・
天然記念物とか銘木でよく知られているというような木ではありません。
一応このモミジは市の指定保存木にはなっていますが・・・
この阿弥陀堂も地元の人でないと知らないといっていいでしょうね。

平尾山・・・
パラダのスキー場がありますが、滑っている人が見当たらないような・・・
新型コロナウィルス感染症でスキー場も大変なようです。

ここは人工雪の山・・・
山が白いのは霧氷です。

数年前に北信濃の山を歩いた時の写真・・・
平尾山も小中景色になっていそうです。

柏木の諏訪神社・・・
もうすこし、この地域を見て行こうと思います。


付則

オコジョさんが書いている室町時代の地蔵尊について、信濃史料 巻九32ページに書かれています。