2021年01月25日 菱野の里にて3 天神社 について知っていることをぜひ教えてください

「オコジョの散歩道」のブログが2021/03/31で閉鎖されてしまうとのことで、その中からオコジョさんのご了解をいただき、転載させていただきます。


少し前まで見えていた浅間山の山頂部は雲の中・・・
山の天気は直ぐ変わります。
雪雲が忍び寄っているのかも・・・

女堰に沿って行くと、下に降りる道があり、建物の屋根が見えますので寄っていきます。

見えているのは、天神社・・・
道は西久保に降りていきますが、天神社には横からも入れますが、きちんと鳥居まで下りて表参道から参拝します。

鳥居に天神宮とありました。
鳥居の右側には集落の上水道の西久保配水池があります。

社殿へはこんな急な石段・・・
手摺がほしいなと・・・
でも景観的には手摺などない方が素敵です。

境内・・・

この石灯籠は文化10年(1814)と刻まれていました。
私が学校で習った頃は(60年も昔ですが) 文化文政文化といっていましたが、今は化政文化というようですね。皆短く書くようになってしまいました・
江戸時代後期の時代で喜多川歌麿、歌川広重、葛飾北斎、東洲斎写楽などの活躍したころですね。江戸時代最後の華やかな一面を見せたころ・・・

ここ天神社は菱野健功神社の裏山なのでこの辺りを天神山というそうです。
菱野健功神社の摂社だと思っていたのですが、ここに中之久保にある長泉寺の土地だそうです。少し前に紹介した不動滝も長泉寺の土地とか、江戸時代のお寺は勢力があったようです。

素朴な拝殿ですね。

天神社とか天満宮は菅原道真を祀る神社です。
学問の神ですが、その才能のゆえに、対立勢力から妬まれ、大宰府に流され不遇の生涯を送りますが、嫉妬深い人だったようで、死後、憤りは収まらず、彼を追いやった貴族、ついには醍醐天皇の子や皇太子も亡くなり、ついには醍醐天皇も崩御。これは大変と道真の怒りを静めるためその魂を沈めようとしたのが天満宮です。

この山の中で、天神様は安らぎを得ているのでしょうか。ここには静かな落ち着きが有ります。

天神社本殿・・・
この本殿は江戸時代中期末のものだそうです。
この中には、御神体として菅原道真公の木彫りの像が祀られていて、年に一度4月25日の春祭りに公開されるそうです。

正面から見るとシンプルですが・・・

袖障子の彫刻を見ると可愛いですね。
中国風の髪形と服装をした唐子が鶉を持って微笑んでいます。
表情が豊かでいいですね。

江戸時代後期の多様な彫刻を多用した形式です。

横に回ると三人の唐子・・・

一人が持っているのは何なのか・・・
目の前の板には岳の模様があって彫刻でしょうか、軍配があったりして何に使うのかと・・・

背後の彫刻・・・
これは判ります。お習字ですね・・・

そして琴を背負った子と、碁を打つ子・・・
表情が生き生きしていていいですね。

一般的には寺社の建物には中国の聖獣や歴史や物語、鶴亀などの彫刻が多いのですが、こうした庶民的なものも微笑ましくていいですね。

龍もなかなか立派です。

天神社の脇に石碑が並んでいます。右から「大日大聖不動明王」「妙見大菩薩」「浅間大明神・虚空蔵菩薩」・・・
日本の神様は仲良しですから、こういう風景は珍しくもありません。

ちょっと気になるのが浅間大明神です。
浅間神社と書くと大体は「せんげんじんじゃ」と読み、富士山の神、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)を祀っています。しかし、旧中仙道追分宿の浅間神社は「あさまじんじゃ」と読み、こちらの祭神は岩長姫(イワナガヒメ)と大山祇神(オオヤマツミ)です。岩長姫は木花咲耶姫の姉で大山祇神は菱野の山の神社の神で、岩長姫と木花咲耶姫の父親です。

富士山と浅間山のどちらも浅間神社なのが面白いですね。一説には富士山も昔は浅間山と呼んだとか・・・
「あさま」は、アイヌ語の火山で阿蘇もおなじ意味だとか・・・

ここは浅間山の近く、そして、ここからは富士山も見えます。浅間山信仰は虚空蔵菩薩信仰とも言われますので、ここの浅間大明神は浅間山の神ということでしょうね。

天神社の手前を脇道へ・・・
出会いたい仏様がいますので・・・

天神社近くの石仏が2つ・・・

左の石碑に「大日如来」とあるように、どちらも金剛界の大日如来です。
左のほうは首がなくて可哀想です。
像には文化10年(1813)の年号と長泉寺の文字が刻まれています。ここは、長泉寺の奥の院に当るのかもしれません。

山奥にひっそりと・・・
滅多に人は訪れないのでしょうが、それも世俗と離れていいのかもしれません。

なおも女堰をたどりますが、道は山の上へと、そして中之久保へ・・・
女堰はここまでで郷に下ります。


 

 

(2021/02/10 土屋記事転載)

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