2021年01月26日 菱野の里にて4 中之久保から板沢 について知っていることをぜひ教えてください

「オコジョの散歩道」のブログが2021/03/31で閉鎖されてしまうとのことで、その中からオコジョさんのご了解をいただき、転載させていただきます。


高峰山・・・
山頂近くに山麓の旧大里村(菱野、後平、滝原、諸、西原)の産土神社の奥宮の高峯神社が祀られています。この地区の故郷の山といえます。
そして水神というる神たち・・・
雨の少ない小諸では雨乞いの山だったようです。

中之久保へ向かって下ります。
急でうっすらと雪・・・
ちょっと怖かったです。早めにスピードを落としそのままスピードを保っておりました。

でもすぐうららかな日の当たる中之久保の集落へ降りたちます。
降り着いたのは、菱野の中之久保の一番奥の入村・・・
いかにも山奥という感じです。

入村道祖神・・・
道脇の石垣の中にひっそりと双体道祖神・・・
この夫婦神は安永三年(1774)建立で、菱野の文化財だそうです。市とか県の文化財でなくても、地域の文化財として大切にされています。人々の愛着を感じます。

菱野ではそれぞれの集落の入口五ヶ所に双体道祖神があり、人々を守っているそうです。他に長泉寺に仏式もあります。ここは神と人々が仲良く暮らしているような・・・
現実はもっと厳しいものがあるのかもしれませんが・・・

こちらも磨耗が激しくお顔はよくわかりませんが、二人寄り添い、手をつなぎ、肩を抱いているようも見えます。暖かみがありほのぼのとした味わいを感じさせます。
1月14日には、当番が灯明を上げ、幟を立てて女神と男神の顔に小麦粉で、白く化粧を施して、家内安全、無病息災を祈願しているとか・・・

翌15日は道祖神の前で、どんど焼きが行われ、繭玉といわれる米粉で作った団子を気にさしたものを焼いて食べて、その年の健康を願う道祖神祭りが行われているそうです。そういう風習がなくなっていくなかで素敵なことです。


左側にも小さな双体道祖神の子供のように祀られています。

静かな村があります。

越えてきた尾根・・・
この上に女堰が、この山のなかを静かに流れています。

菱野の名は鎌倉時代末期の嘉暦(かりゃく)4年(1329)の諏訪大社上社の造営帖に小諸の菱野と松井の名が記載されていて、菱野の地頭は玉垣2間の造営をしたと記載されています。
地頭は平安時代の荘園の管理をした役職で、鎌倉時代になると幕府の配下の武士が地頭となりました。小諸や、望月の地頭は2間の造営と在りますので、菱野地頭は、この地方で大きな勢力を持っていた証のようです。

昔、茅葺の家がところどころ・・・
このお宅は、今でもお住まいのようでした。

道脇に石仏が並んでいます。

中之久保は入村、中村、下村などの小字に分かれています。ここは中村の中之久保の真ん中です。双体道祖神は中村の道祖神と呼ばれているそうです。

双体道祖神は2つ並んでいます。左は文化12年(1815) 200年ほど前の夫婦神、並んでさりげなく手を握りあう慎ましやかなものでほのぼのとした味わいがあって良いですね。

右の小型の双体道祖神は磨耗が激しく年代はわかりません。江戸時代のものですね。双体道祖神は立像がほとんどですが、この双体道祖神は珍しく坐像です。何をしているのかははっきりしていませんが、少し前に紹介した下村の双体道祖神と良く似ているようです。

道は下に向いますが、この後、もう紹介済みの不動滝に向かう近道の左に登る観音坂を上ります。
急なのです。小諸の坂はどこも急ですが・・・

板沢集落への観音坂の途中の石碑群・・・
以前はお堂の中だったのですが・・・
地元では「石尊さん」と呼ぶ「石尊権現」を祀る石尊堂だそうです。

神奈川県の丹沢山塊の大山は、古くから山岳信仰の山として知られてきました。
この大山の山頂の阿夫利神社には石尊権現を祀っています。

信州では石尊権現は水の恵みの神として信仰されました。そうしたことにより、信州ではたくさんの石尊権現の石碑を見かけます。
軽井沢には石尊山という山があります。この石尊山と言う名は関東には数多くあります。
いずれも石尊信仰の山々です。

石積みの道・・・

菱野はこうした石垣の上の上や棚田をよく見かけます。

宇坪入の棚田への道が分かれます。
宇坪入の棚田は日本の棚田百選に選ばれています。
「日本の棚田百選」は農水省によって1999年に制定されています。
百選といっていますが、実際には117市町村の134か所にあります。
山国、信州はそのうち16ヶ所あります。

この時期の棚田は寂しいので棚田まではいきませんでしたが、すぐ先の双体道祖神に御挨拶へ・・・

この後不動滝に向かったのですが、もうアップ済みです。