九度山のまちなかは丘状になっていて、確かに川に挟まれる地形ではあるものの、川から水をくみ上げる様子や文化はなくいったいどうやって
生活水を得ていたのか不思議であった。
左の街並みがまちなか川の水面からグランドベースまではかなり高さがあり。さらには丘状に沿うように家が立ち並ぶ。
九度山には低いところにある川から水をくみ上げる文化も様子もなかった。
では、どこから水を汲んでいたのか。その答えは井戸にあった。
この井戸は、まちなかの一番高いところから少し下がったところにあるが、川の水面よりはかなり高い位置にある。
なのにこの井戸の水面は、黒く映っている部分まで上がっている。この高さで水を汲めるということは、生活するうえでかなり簡単に水を得ることができたと想像ができる。
そのため、まちなかには井戸を持つ家がとても多くみられる。まちなかで一番高いところにも井戸があり水をくみ上げることができたようだ。
高野寺領であった昔、仕事、物資、水がそろった九度山のまちなかが繁栄したのも容易に推測できる。
高野山といい九度山といい、川より高い位置で豊かな水脈を得ることができたことが、ここが栄えた理由であったと思う。