明治初期(明治3年〜4年)、五條県の刑務所が置かれたところ。
そのあと、銭湯、長屋、製麺所が建っていたらしい。
銭湯の前には小さなステージがあって、芸者がおどったり、常連客が花札などを楽しんだり、とても活気にあふれ賑やかな時代があったと、地元のお婆さんが話してくれた。
たかはしろばとは高台にある平地で・・・「高い広場=たかいひろば」が由来とも話されていた。
ここは、水が豊富で4〜5箇所も井戸があったとのこと。
この井戸の水を用い、近隣の飲食店に卸す製麺所では、戦時中、米の代用として製麺が考えられ、保存可能な「乾麺」の製造が行われていた。
今でも水が湧き出ており、実際に利用している方もいる。