トロッコ道ハイキングマップ
九度山にある、道の駅「柿の郷くどやま」や南海高野線の九度山駅などに
「トロッコ道ハイキングマップ」が置かれています。
「トロッコ道」とは、本名は「高野山森林鉄道」と言います。内燃機関車がトロッコに満載した木材を
高野山国有林から運び出していたので、地元の方が親しみを込めて呼んでいたあだ名です。
明治38年に開削されて以来、昭和34年に高野山有料道路一部線が開通してトラック輸送に
全面切り替えられるまで半世紀以上に渡って活躍しました。
その一部分が、ハイキングコースとして整備され、道標も完備されていて、とても歩きやすい道に
なっています。今歩いている道に昔はレールが敷かれていたと思うと不思議な気分になります。
マップは、「九度山町観光情報 パンフレット等のダウンロード」ページから入手可能です。
以下のURLをコピペして頂ければページに飛びます。ダウンロードして是非ご活用ください。
http://www.kudoyama-kanko.jp/download/
トロッコ道ハイキングマップ副読本
九度山貯木場(現道の駅「柿の郷くどやま」)を出発して上古沢駅に至るハイキングを、より楽しくしていただくために、「トロッコ道」に関係するお話を「副読本」として作成しました。ハイキング前の予習として、ハイキング後の復習としてご活用いただければ幸いです。
トロッコ道ハイキングマップ周辺情報
高野下駅は、椎出シイデと言う町の真ん中に立っています。この椎出は、第一期トロッコ道の終点でした。不動谷川沿いに土場があって、川を流されてきた木材を、ここで引き揚げ、九度山までトロッコで運ぶこともありました。
また、明治34年に高野口駅が開業すると、高野山を参詣する人たちが、高野口駅から列を成して椎出を通過していきました。
ここから本格的な山登りが始まりますので、休憩する人や、一泊して翌日から参詣登山する人たちで宿場町として非常に賑わいました。
椎出地区 をご覧ください。
この椎出周辺のマップも合わせて掲載いたしますので、トロッコ道から少し寄り道しては如何でしょうか。
椎出周辺ガイドマップ
槙尾道ハイキングマップ
大正4年4月に「高野山開創年記念大法会」が開催されます。鉄道開通以来高野山最大のイベントです。全国から参詣者が押し寄せることが予想されました。そこで、大正2年度から「新高野街道」が大改造されます。続きはこちらをご覧ください。
「トロリー」と「トロッコ」にまつわるよもやま話
トロリーとトロッコにまつわるよもやま話を少し記しています。ご興味のある方は是非ご訪問ください。
高野山森林鉄道開発史
高野山森林鉄道について詳しく知りたい方は、「高野山森林鉄道開発史」をぜひご覧ください。
九度山の今昔
「地理院地図電子国土web」に、「トロッコ道」が活躍していた昭和22年から、現在に至る九度山の変遷が
見ることの出来る空中写真を発見しました。これから順次このページにアップしていきたいと思います。
その1 道の駅「柿の郷くどやま」昭和22年
この道の駅は、当時は「トロッコ道」の終点でした。名前は「九度山貯木場」、字名を取って通称「入郷土場ニュウゴウドバ」
と呼ばれていました。現在の駐車場や芝生広場いっぱいに木材が並べられていました。
昭和22年撮影 平成24年撮影
出典 地理院地図電子国土web 空中写真
左の写真は昭和22年の空中写真です。戦後復興の為に木材が多量に必要だった時期なので
土場は賑わっていたのではないでしょうか。広場の中をトロッコ道の引込線が伸びています。右下に見える橋は「丹生橋」です。
少しわかりにくいので、地上の写真を探してきました。
出典 高野山国有林 昭和2年発行 高野営林署編
昭和2年頃の九度山貯木場(入郷土場)の姿です。高野山国有林から運ばれてきた木材が山のように積まれています。
木材の山を1パイ・2ハイと数えたので、「ハイ積み」と呼ばれました。
写真手前の左右に走るレールは、現在は道の駅前の道路に変身しています。
木材が積まれているのは、道の駅の駐車場辺りになります。
右奥の黒い影は和泉山脈です。
撮影地点は道の駅駐車場出入り口付近と思われます。
その2 九度山町役場周辺
昭和22年撮影 平成24年撮影
昭和22年では、役場周辺は農耕地ばかりでした。軌道も緩やかなカーブを描きくっきりと写っています。
いまでは無くなってしまった前川橋や小学校の旧校舎が写っています。
出典 九度山を中心に 大正9年発行 松山常次郎著
手前に小学校が写っています。役場の場所は画面左端に外れています。
出典 九度山郷土読本 昭和9年発行 九度山尋常高等小学校編
小学校から望んだ九度山です。