古沢小学校跡地での交流cafeで、「古沢」が「古佐布」だったと聞かされました。 この事について知ってる方いらっしゃいましたら、書きこみお願いします。

古沢が高野山寺領の学侶領になる前は、つまり816年前は天野の神領であった。その神主丹生家の氏文には古沢の神地を治めていたのが古佐布 秋磨呂という人でその人の名前から古佐布としたと紀伊風土記に記載されている。コサフは発音しずらいく谷間の村なので沢を引用したものと思われる。とすれば、紙を造るノーハウは朝鮮半島から渡来した際、先祖から伝承されていたと推論される。古沢紙のルーツはこの布という文字に秘められているのかもしれない。では朝鮮半島のどこからかと言えば天孫族の故郷である昔伽耶と呼ばれていた釜山の西海岸当たりの固城が推測できる。この街の名前はコサと発音する。標準語では

城はソンだが慶尚南道の方言ではサという。 固城+倭 日本の固城  故郷の名前を付けたのかもしれない。