山本左(佐)一郎氏は、高野小林区署の2代目署長として明治23年に赴任されました。当時の山上は女人禁制が解かれてはいましたが、暮らす人はまだまだ少ない時でしたが、夫人と共に任官され、山上初の子供を授かった方です。

 高野山国有林の施業開始と同時期である、明治38~39年にかけて7代目署長として再赴任され、事務所に寝泊まりしながら奮闘されたそうです。

 今回の、この「高野山森林鉄道開発史」をまとめることが出来たのは、この方が明治39年に書かれた報告を見たことが大きなきっかけでした。

 現公益社団法人大日本山林会が明治15年に設立されます。そして当初より月刊会誌「大日本山林会報告」(現在は改題されて「山林」)が発行されます。そして、数年前にインターネットで公開されます。(直近36ヶ月分は目次のみ)こんなに素晴らしいライブラリーは私は初めて見ます。約130年分、関東大震災や東京空襲をくぐり抜け、約1600号ほぼ全号が揃っています。その中で山本左一郎氏が、明治37年の施業準備段階から明治38年の施業開始直後までの様子をまとめられた第286号「高野の美林」報告がありました。これが無ければ、高野山森林鉄道がどのように夜明けを迎えたのか判りませんでした。大日本山林会様本当にありがとうございます。