椎出の厳島神社は、椎出の人々の自治の象徴といえる。

明治の神社合祀のとき、御神体は古沢の神社に移されたもの、御神体の写真を納め、社を守り抜いた椎出の人々。交代で家ごとに神主を担い、禱りを司る。20年に一度、自分たちで集めたお金で、彩色をしたり、屋根をかけ直す。今も、銅板で葺いた屋根と極彩色が古の神社の気高さを現している。社殿の下に敷き詰められた玉砂利を

「子供が紀ノ川から拾ってくるですよ。この小さい白い石が小さくて大変だったのを覚えています」。

子供が神示にしっかりと関わる椎出の教えがここにもある。「花崗岩ですね」と和歌山大学の地質学者、此松教授が言う。「奈良県の葛城山から、紀ノ川を流れて九度山にやってきた石。大きさは握りこぶしで、卵のように丸くなっている。葛城山から流れてきた距離。青いゴツゴツと大きなこの辺の緑色片岩の間に、角の取れた小さな花崗岩をみつけるのは子供の仕事。

川から石を拾い、神聖な場所を清めるのに子供が一役をかい、歳を重ねて、担う役割が変わってゆく。

誰に支持されたのでもない。むしろ、時の権力から神社をなくすことを命じられても、神体の移動だけを従い守り続けている。土砂崩れや増水があっても、決して神様を被災させない位置に禱り、そこに人々が集ってきた。

普段から祭を行って、人々が集まっている。災害のときも、ここは大切な場所となるはず。

椎出厳島神社の玉砂利と子供 について知っていることをぜひ教えてください