高野山森林鉄道開発史

第七期「終焉

概況  戦後、ガソリン規制が無くなりトラックの普及が急速に進んだこと、積載能力が向上し伐採地から積替えなしで直行便が仕立てられるようになったこと、土木技術の向上で更に奥地に「林道」建設ができるようになったこと、などの理由から、半世紀に渡って繁栄した、「鉄道・軌道」の時代は過ぎ去り、「自動車道・トラック輸送」の時代へと移っていきます。高野山森林鉄道も例外ではありません。現時点では、どのように廃線になって行ったかなど、当時の史料を探し出せていないため、残念ながら詳しくは確認できていません。年表形式で記します。

    

昭和26年1月 ・高野山国有林579haが無償払下げ。高野山駅周辺・大門前・奥ノ院裏。

                             ・神谷土場と浦神谷を新極楽橋廻りの「軌道」で連絡し、インクラインを廃止。この連絡軌道は大正14年に高野参詣自動車が開削したものを利用しました。

                                 この変更は全線トラック運材化への布石と考えています。

昭和28年         ・Y211型集材機が配備されます。

昭和29年  ・九度山発の西廻りでは、初めて高野山まで直通する高野山有料道路の建設が県の手で始まります。当初計画では2年で開通する予定でした。

                           ・同時に高野山林道幹線軌道線の自動車道への改修工事も着手します。この時から高野山有料道路開通のタイミングでトラック輸送へ転換する計画だったようです。

昭和34年4月   ・高野林道幹線(鶯谷~細川出合)の開通式が細川土場で行われます。

                  5月    ・高野山有料道路一部線(細川まで)が開通し、林道幹線軌道全線がトラック輸送に転換され、明治38年に誕生した高野山森林鉄道も遂に54年(1905-1959)の生涯を閉じます。

                  8月 ・明治43年生まれの高野索道が閉鎖される。

昭和35年7月 ・高野山有料道路が大門まで全線開通します。

出典:国有林の展望(大阪営林局編 昭和27年3月発行)

 

参考資料

・高野町史 近現代年表(高野町史編纂委員会・2009年6月発行)

・高野山道路一部線完成(土木技術・昭和34年発行)

・有料道路 高野山道路開通(道路建設・昭和35年発行)