高野山森林鉄道は、高野山国有林全域に広がっていますので、地域を分けて路線を描いていきます。
注意事項
・路線のルートが確定しているところと、まだ確定していないところもある為、確定しているところは点線で表示し、確定していないところは、路線名のみ記入したり、「推定」などの文字を入れています。
・あくまでも個人の調査ですので、間違いもあるかもしれませんが、ご容赦ください。
・道路として利用され整備されているところもありますが、多くは廃道となったり、そもそも危険な場所に開削されていたり、自然災害等での路盤が失われたりなど、危険な箇所が多数あります。また、危険な動物もいますので、くれぐれも責任ある行動をお願いいたします。
花坂線
花坂線は、幹線の「細川」から分岐します。通例では、幹線から分岐する路線は「支線」と呼ばれますが、当該路線は昭和時代の幹線として扱われているので「花坂線」です。
九度山から南下した幹線は、細川で東に折れて、東廻りで高野山真南の39林班(一の枝川)を目指し、約15年かけて大正時代に到達します。東廻り幹線です。
今度は、細川から分岐して南下し西廻りで40林班の内子谷川を目指します。数年で完成し、花坂線終点から更に作業軌道を延長し、昭和19年に霊宝館の裏手に到達します。
細川から霊宝館裏まで
大門支線
湯川隧道口
路線案内
土場
細川貯木場 通称細川土場 明治45年開設 紀伊細川駅すぐ近くにあり現在は公営住宅 面積60㌃
牧土場 情報なく詳細不明 花坂線と20林班線の出合にあり。(推定では、20林班支線が開削された昭和19年度開設 場所は18林班奥の折り返し地点)
路線網 軌道・作業軌道
名称 | 位置 | 種類 | 延長 m | 新設年度 | 備考 | |
高野林道 | 幹線 |
自 九度山貯木場 至 24林班 |
軌道 | 20,812 |
明治37 昭和27 改良 |
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高野林道 | 花坂線 |
自 細川幹線林道 至 40林班 |
軌道 | 12,195 |
昭和3-7 昭和25 改良 |
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高野林道 | 大門支線 |
自 花坂線 至 14林班内 |
軌道 | 1,226 | 昭和4-5 | 昭和32年度までに廃止 |
高野林道 | 20林班支線 |
自 花坂線牧土場 至 20林班内 |
軌道 | 1,224 | 昭和19 | |
作業軌道 | 42林班線 |
自 湯川隧道東口 至 42林班内 |
作業軌道 | 1,100 | 昭和19 | 9kg軌条 |
作業軌道 | 43林班線 |
自 花坂線終点 至 43林班内 |
作業軌道 | 1,500 | 昭和19 |
9kg軌条 900m 6kg軌条 600m 終点 霊宝館裏 |
作業軌道 | 18林班線 |
自 花坂線 至 18林班内 |
作業軌道 | 450 | 昭和25・26 |
複線 インクライン200m含 28豪雨で流失 |
作業軌道 | (20林班線) |
自 花坂線 至 20林班内 |
作業軌道 | 150 | 昭和26 頃 |
詳細不明 運搬系統図に記載有 |
出典
高野事業区 第3次検訂 施業案修正説明書 実行期間 昭和08-12年度 昭和7年11月外業完了 | ||||||
昭和23年度 第六次編成 高野経営区経営案説明書 実行期間 昭和24-33年度 昭和23年12月外業完了 | ||||||
高野経営区 第七次経営案説明書 実行期間 昭和27-36年度 高野営林署 昭和26年11月外業完了 | ||||||
高野経営区 第八次経営案説明書 実行期間 昭和32-41年度 高野営林署 昭和31年11月外業完了 高野経営区 経営図 昭和32年度 |
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高野営林署直営生産事業概況書(昭和26年11月) | ||||||
高野営林署直営生産事業概況書(昭和29年1月) |
花坂線と大門支線について
昭和7年度の調査によると、花坂線は下表の様に記録されています。
名称 | 位置 | 種類 | 延長 m | 新設年度 | 備考 | |
高野林道 | 花坂線 |
自 細川 至 14林班 |
軌道 | 6,161 | 合計 13,301m | |
高野林道 | 花坂線延長 |
自 15林班 至 41林班 |
軌道 | 7,140 |
これ以降の記録では以下の通りです。
名称 | 位置 | 種類 | 延長 m | 新設年度 | 備考 | |
高野林道 | 花坂線 |
自 細川幹線林道 至 40林班 |
軌道 | 12,195 |
昭和3-7 昭和25 改良 |
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高野林道 | 大門支線 |
自 花坂線 至 14林班内 |
軌道 | 1,226 | 昭和4-5 |
「高野小林区署 最初の立木払下げ」でも考察したように、14林班を含む「鳴戸谷」は、高野営林署にとって記念すべき場所です。
以上を勘案しますと、花坂線の開削は以下の様な考えで行われたのではないかと推察されます。
昭和3年、開削開始時の第一目標は、鳴戸谷の伐出。第二目標が西廻り最奥部の内小谷の伐出。昭和5年度に鳴戸谷に到達し、花坂線と名付けた。
その延長線として40林班に到達した時に、改めて細川-40林班間を花坂線とし、鳴戸谷を大門支線と名付けた。
花坂線周辺の谷には、支線及び作業軌道を張り巡らした。
閑話休題 その1
花坂線の終焉
高野林道幹線は、軌道を自動車道に改修しましたので、昭和31年までには、細川-26林班間が奥の院内を除いて自動車道に転換されたことが判っています。
花坂線がいつ、どのように廃線となり、自動車道化されたのかが判っていません。高野町史によると、鳴戸川林道は昭和55年に工事が始められています。
工事区間が判らないので、矢立から大門全線なのか、その中の一部なのかもわかっていません。
閑話休題 その2
林道設備と作業軌道設備
軌道を資産上どの様に取り扱うかによって、どちらになるかが決められます。
林道設備:固定資産として取り扱われ、減価償却されます。恒久的な設備です。(代表が幹線や花坂線)
作業軌道設備:毎年度の作業経費の中で取り扱われます。すぐに解体する一時的な設備です。(43林班線や18林班線)
このほかに「つっこみ線」と言うものがあったようです。
「作業軌道設備」に「つっこみ線」が包含されるのかどうかは不明です。作業軌道設備の現場用語かもしれません。