弘法大師空海は、若いころ和泉槙尾山(現大阪府和泉市)で修行し弁財天を信仰されていました。

高野山開創後も毎月九度、槙尾山へ参詣されていましたが、ある時、高野山から九度山へ下りてきたら紀の川が増水して川を渡ることができずに、どうして渡ろうか思案していると、弁財天が九度山の地に現れ「槙尾山まで行くのが大儀であるから、この地に祀るように!」と仰せられました。

空海は、弁財天を祀るため九度山中学校の下にお社を建て、同時に石の鳥居も建てられたと伝わっています。この鳥居には、空海が書かれた文字の入った額が飾られていたという話も聞きましたが・・・その真意は定かではありません💦

空海の書かれた額は、高野山の霊宝館に納めれています。

九度山中学校下の槇尾山明神社

左側が弁財天、右側が大明神

槇尾山弁財天槇尾山大明神

現在、石の鳥居は慈尊院から丹生官省符神社への石階段に移設されています。ただ、鳥居のあったところは「鳥居芝」という地名が残っています。

石の鳥居があったであろう道

180町石の傍にそびえる石の鳥居中央に空海自筆の額が飾られていたのかも…