神谷は、楊柳山から西に延びる尾根に形成された村です。この尾根の南側の谷には、塵無を源流とする「不動谷川」が流れています。そしてもう一方の北側の谷には、三尾川が流れています。不動谷川沿いの運材は幹線が担い、三尾川沿いの3・2・1林班の運材を担っているのが、3林班線・2林班線・森脇林道です。「高野山国有林 昭和2年版」によると、2林班は明治24年に、3林班は明治29年に植林されたと記録されていて、古くから開発されてきた地域の一つです。

 高野山国有林は、実は、高野山・森脇・森ノ奥の3つの国有林の総称です。「高野山」は寺領が起源で、ほぼ高野村全域ですから最も大きく、森脇と森ノ奥は西郷村の「字森ノ脇」と「字森ノ奥」がその場所に当たるので、非常に狭い地域となります。明治時代は、河根から「字森ノ脇」に至る林道(車道)なので、「森脇林道」と称されました。

 「高野の美林 明治39年版」「大阪外林区署統計書 明治41年版」によると、明治38年に官行斫伐が開始された時、開削された路線に、森ノ奥-24区と24区延長があります。「森ノ奥」は神谷土場のある地域の字名でもあり、森ノ奥国有林の名前でもあると判っているのですが、「24区」と言うのが、現在の所確定できていません。官行斫伐は、施業案と言う開発手順書を編成し、計画的に開発を進めて行きます。この施業案では高野山国有林を、1から44の林班に分割して管理しています。ですが、この施業案が編成される前は、1から26の区に分割して管理されていました。基本は、高野村の字が対応しています。施業案編成以降の経営図(林班地図)は、多くが残されているので、林班と場所は明確になっているのですが、施業案編成前の区割り地図や、区と字名の対照表が残されていない為、何区が何字なのかが判っていません。ですが、字森ノ奥を出発点にできる地域は、不動谷川沿いか、三尾川沿いの地域しかありませんので、「24区」は三尾川地域の「字国見嶽」と推定されます。この「24区」と「森脇・森ノ奥国有林」が、施業案では、1・2・3林班に割当てられました。

 いつもなら、web地理院地図にGIMPで点線を書いて路線表にするのですが、現森脇林道に判り易い看板を見つけたので、それを掲載します。ほかにもあるのかもしれませんが、この「山地災害危険地区」という看板を私が見たのはここだけです。

 

3林班線 

路線網 3林班線            
名称 位置 種類 延長 m 新設年度 備考  
  24区 自 森ノ奥
至 24区
木馬道 1,375 明治37 明治39年調査  
  24区延長線   木馬道 2,865 明治39 明治41年調査  
高野林道 三林班線 自 幹線林道神谷
至 三林班内
木馬道 3,357 昭和7 昭和26年調査  
3林班線   軌道 2,000 昭和25 昭和26年調査
一部軌道化
 
3林班線 自 6林班終点
至 3林班内
軌道 3,683 昭和27改良 昭和29年調査  
3林班線 自 幹線
至 3林班
軌道 3,683 昭和27 昭和31年調査  
 
出典 M39 高野の美林
  M41 大阪大林区署統計書
  S0711外業完了 高野事業区 第3次検訂 施業案修正説明書 実行期間 昭和08-12年度
  1943 高野山国有林(昭和18年5月)
  S2312外業完了 昭和23年度 第六次編成 高野経営区経営案説明書 実行期間 昭和24-33年度
  1951 高野営林署直営生産事業概況書(昭和26年11月)
  1954 高野営林署直営生産事業概況書(昭和29年1月)
  S3111外業完了 高野経営区 第八次経営案説明書 実行期間 昭和32-41年度 高野営林署

 上表では、3林班線は昭和7年度開設となっています。推定でしかありませんが、「24区と24区延長線」は、3林班開発の為の木馬道であることは正しいと思われますが、3林班線とはルートが異なっていたのかもしれません。大正2年の幹線全線軌道化時のお題目は、軌道と木馬道が混在しては積替えの作業費がかむため、作業費合理化の為に軌道に一貫する、と言うものでしたが、3林班線は開削当初の木馬道のまま残され、昭和7年の時点でも木馬道として開設されました。3林班は北向き斜面で材積が少なかったからでしょうか、積極的に軌道への変更が行われていません。ようやく、昭和25年度に6林班線開削とセットで一部軌道化されます。昭和25年9月にジェーン台風に襲われます。ここからは推定になってしまうのですが、この時に神谷土場から神谷インクラインにかけて、何らかの被害にあい、使用が困難となったために、神谷から極楽橋に6林班線を新規開削する事で、幹線運材を復旧させた。木馬道で神谷土場に入線して、キンマからトロリーへの積み替えを行っていた3林班線は、神谷土場で積替えできなくなった、あるいは、神谷隧道のすぐ横に6林班線が開削されたので、3林班線を接続した方が合理的だと考え、軌道の6林班線に接続するために軌道化を開始した。と考えています。

 「推定」ばかりで申し訳ありません。苦しい言い訳ですが、施業案説明書や高野の美林シリーズの、林道設備一覧表には、路線の設備記録は載っていますが、開設の理由は明記されていません。廃止は、過去の表と見比べて落ちていれば廃止と考えるしかない為、いつ廃止されたか、その理由も含めて明確ではありません。様々な情報を組み合わせて「推定」するしかないのが現状です。ですので、新情報がはいると、これまでと全く違う事を言い出す可能性も充分ございますので、予めご了承のほど、よろしくお願い致します。

 

森脇林道・2林班線

路線網 森脇林道          
名称 位置 種類 延長 m 新設年度 備考
森脇林道     車道 5,900   昭和23年調査
森脇林道   自 河根村県道
至 二林ろ
車道 5,898 昭和8 昭和26年調査
森脇林道   自 河根村道
至 2・3林班
車道 5,898 昭和8 昭和29年調査
森脇林道   自 河根村道
至 2林班ろ小班
車道 5,898 昭和8~21 昭和31年調査
路線網 2林班線            
名称 位置 種類 延長 m 新設年度 備考  
  二林班線   木馬道 800   昭和23年調査  
  二林班線 自 森脇林道
至 二林班内
木馬道 795 昭和15 昭和26年調査  
高野林道 2林班線 自 森脇林道
至 2林班内
木馬道 795 昭和17 昭和29年調査  
2林班線 自 森脇林道
至 2林班
木馬道 795 昭和17 昭和31年調査  
 
出典 S0711外業完了 高野事業区 第3次検訂 施業案修正説明書 実行期間 昭和08-12年度
  1943 高野山国有林(昭和18年5月)
  S2312外業完了 昭和23年度 第六次編成 高野経営区経営案説明書 実行期間 昭和24-33年度
  1951 高野営林署直営生産事業概況書(昭和26年11月)
  1954 高野営林署直営生産事業概況書(昭和29年1月)
  S3111外業完了 高野経営区 第八次経営案説明書 実行期間 昭和32-41年度 高野営林署

 森脇林道は、高野山国有林内で、初めて開設されたと思われる「車道」です。額面通りで行くと「荷車用」の林道なのですが、昭和8年と言う時代を考えますと、幅員は狭いけど自動車(トラック)の通る道ではなかったかと推定しています。丹生川から西郷村の字森ノ脇と高野村の字国見嶽の国境迄伸びていたと思われます。

 2林班線の開設は昭和17年度です。

 

 現代では、河根-森脇林道-2林班線-3林班線-神谷が一筆書きの自動車道で繋がっていますが、昔は、2林班線と3林班線は、接続されていなかったと推定しています。三尾川右岸は森脇・2林班線コンビ、左岸は3林班線が運材していたと思われます。