九度山町では以前、町史を編さんするにあたって町史編纂室が存在し、冊子を上梓するまでほぼ毎月、「広報くどやま」に「町史編さんだより」を掲載していました。その内容を転載します。

 

以下、平成9年1月号の記事です。

 

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桂の神木と春日大明神

市平の氏神様の森に、直径1mを越す桂の大樹がそびえています。

「目には見て手には取らえぬ月の内の楓(桂)のごとき妹をいかにせむ」(万葉集:632年)の歌のように、月に生えている木と言われる桂、市平の人々はこの桂に神木としてうやまい、根元は神の座る神聖な場として、ここに奈良春日山麓の春日大明神を勧請し、社を建て氏神としてお祀りしています。

20年ごとの式年遷宮祭

768年藤原氏によって創立した春日大明神、氏寺の興福寺とともに春日詣といわれるごとく各地に信仰が広まっていきました。

市平の春日明神も規則正しく20年ごと式年遷宮祭をおこなっており、明和2年から明治37年の間の記録が残されています。

明和2年の遷宮祭は

11月1日 手斧初
11月10日 下遷宮
11月16日 正遷宮
大工 三軒茶屋 中兵衛
丁田村 佐七

(いずれも現橋本市)


正遷宮の役の神主一人と餅まき二人は、戸主のくじ引きによって選任します。

式には村民全員約50人が参列し、お供えした品々を全員で頂戴します。これは氏神様と氏子が食事をする儀式であって、神と人との命のつながりが成り立つ意味である、と解されています。

また正遷宮に出氏子32人招待しています。大阪府千早村、五條市大深・大沢・犬飼・橋本市彦谷・宿・向副・西畑・東家・下兵庫・中道などの人々です。

正遷宮祭と名替え

戸主は五升の米を供え、この祭を機に名を替えました。社殿が新しくなったように、わが家も清める意味で名替えをしたのでしょう。下表がその系図です。また堂々と姓を名のっています。姓は武士階級だけのものではなかったようです。

  • 下の表で、前回と名の変わっていない人は天保15年で1人、元治元年で1人、明治17年で3人で、他の人々は名が変わっています。(20年の期間があり、戸主が変わった家もあると思われますが)
  • 全員、姓が記されていますが省略しました。