(てんしょうじ)


天性寺は元亀三年(1572)に泰山和尚によって中興されたといわれ、号は護持山朝光寺、浄土宗知恩院の末寺です。山門には、皇国(こうこく)・集英(しゅうえい)・法門(ほうもん)・亀鑑(きかん)とあり、扉がなく24時間出入りできる。 堂の前には十三重の石塔と人間の背丈の倍はある石面に蛸地蔵縁起が彫り込まれている。地蔵堂は日本でも最大級のもので、伝説がなまじっかのものではないことが感じられる。本尊はもちろん地蔵菩薩尊である。なお、現在のお堂は江戸時代の天保年間(1830~43)に再建されたものである。平素はひっそりとしているが、8月23、24日の地蔵会には地蔵堂の中が公開され多くの参詣者で賑わう。

出典:紀州街道 平成16年10月28日 上方史跡散策の会 須藤欣一

 

 天正年間(1573~86)に岸和田城が根来衆の攻撃を受け落城の危機に陥ったとき、忽然と現れた大蛸にまたがった法師と無数の蛸の活躍によって根来勢を退散させた。その後、城の堀から矢傷・玉傷を無数に追った地蔵が発見され、城内に安置し、文禄年間(1592~96)小出秀政が城主の時に天性寺の開山泰山上人の懇望によって同時に安置された。 本縁起では法師と蛸の活躍によって根来勢を退けたのは松浦肥前守の時のこととしているが、天正12年、羽柴秀吉が徳川家康と小牧・長久手で戦った際に、根来寺に対する押さえとして中村一氏が岸和田城に入り、根来衆の攻撃を受け苦戦の末に退けたことが記録に見える。あるいはこの時の合戦をモチーフとして創作された縁起かもしれない。

出典:春季特別展 泉州の寺社縁起 平成8年3月30日 編集発行 岸和田市立郷土資料館