会田和子さん

(株)いわきテレワークセンター代表取締役の会田和子さんは、震災発生後、真っ先に社員の安否確認を行った。社員とその家族全員の無事は確認できたが、直後に津波の第一報が入った。浜のほうに家がある人もいる。すぐに業務停止をきめ、帰宅を許可した。次の朝には緊急災害対策本部を社内に設置し、自ら本部長に就いた。このとき、福島原子力発電所の情報はまだない。いつ、どういう条件がそろえば業務が再開できるか、それだけを考えた。

 

コールセンタービジネスは、いかにお客様の財産を損なわないか、お客様が困る事態をつくらないかがモットー。「お客さまからもう『いわきなんてだめだよね』とレッテルを貼られたらおしまいじゃない。だからいかに早く問題を解決するかという時間軸はしっかり持っていた」。それが2011年3月11日から13日だった。

その後福島原子力発電所の事故の情報が入る。在宅ワーカーには若いお母さんが多い。「県外に脱出しました」という情報が続々と入ってきた。

 

「普通の地震と津波だけだったら事業をなんとか継続してくださいと言えるけれど、原発事故ですよ。みんな逃げたって、社長、それは文句言えないよ」とクライアントに諭された。

会田さん:「じゃあ業務停止をお許しいただけるのですね」。
クライアント:「もちろんです」。

しかし、それからの対応は早かった。

受け持っていたコールセンター業務は、大手プロバイダーOCNのヘルプデスク。「いわきをなんとか支援してください」「広島のセンターで増強してください」「釧路でこれくらい・・」「佐渡でこれくらい・・」と割り振ってカバーしてもらった。おかげでそれほど混乱することなく、お客様に対して通常通りのサービスを提供できた。

 

「後から知ったんだけど、電話局だって流されたでしょ。だけど西からみんなが行って、あっという間に復旧した。そういうところが市民に深く感動を与えたみたい」。今度電話に加入するときはやっぱりNTTにするからと、当たり前のように線をつないだ通信事業者への賞賛の声も聞いた。

 

復旧の過程で、経営者としてありがたかったのは、同社の東京拠点統括ディレクターの冷静な行動だった。当時、いわき市では地元の情報がとれなかった。福島市やいわき市の状況について、離れた東京から直接霞ヶ関に聞きに行ったり、TwitterやFacebookを駆使して淡々と情報収集に努めた。そして単に流すのではなく、冷静に、危険にさらさないように、行動をあおらないように配慮し、指令塔となって知らせてくれた。

 

最もダメージを受けたのは福島を中心に東北の逸品を扱う自社のオンラインショッピングサイト。生産者のなかには業務停止に至った事業者もある。全国から温かい声援をいただき、2011年4月から生産者と共同で応援商品の売上の10%を被災地に送るという取り組みを行っている。

 

社内に対しては、自発的なボランティア・プロジェクトを立ち上げるよう指示した。厚生労働省の「ひとり親家庭等の在宅就業支援事業」をやっていたこともあり、職を失う人のために「職の相談窓口」を開設した。ヘルプデスクを設置し、フィードバックとフォローを一件一件行っていく。

 

会田さんは、事業のスタート時からいかなるときも企業をどうやって成長させるかを考え努力してきた。それがひいては地域に根差した地域活性化への貢献につながると信じている。理事長に就任している「地域産業おこしに燃える人の会」は、福島だけではなく、東北3県、あるいは東北全体の復興を考える。全国の燃える人が協力すれば何かおもしろいコラボになる。それが新たなモチベーションになっている。

 

いわきテレワークセンター

・ホームページ

  http://www.iwaki-twc.co.jp/

・被災地支援のページ

  http://www.furusatomarche.com/index.php?main_page=index&cPath=245

・福島県緊急雇用創出基金事業

  http://www.iwaki-twc.co.jp/careers/index.html

地域産業おこしに燃える人の会

  http://info.moeruhito.com/

 

 (取材日:2011年12月20日 ネットアクション事務局 小豆川裕子)

 


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